玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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駄目な自分を操縦する

▼腰痛が出たので腹筋に励む。腰痛がいつ出るのかわからないが、血行が悪くなるか、腹筋をさぼってお腹や腰の筋肉が落ちたときに出るのではないか。腰痛の神はサボりを許さない。

 

久しぶりに腹筋ローラーでゴロゴロやる。治る。

 

 

▼買い物に行く。青いアジサイも咲き出し、ススキの綿毛がキラキラと輝いている。青紫の可憐な花はチドリソウだろうか。

 

近所が整地され、一軒家が立ち並び始めた。その一軒は元はアパートがあったところで、一階の片隅には猫が寝られるように、段ボールに毛布をしきつめた箱が置かれていた。私はここを猫アパートと呼んでいた。猫アパートには常に2、3匹の目つきの鋭い猫が居ついており、半野生の気ままな暮らしを楽しんでいた。学校帰りの子供たちが撫でたり、エサをやったりしていた。私も生まれ変わったら猫アパートの猫になりたかった。あの猫たちは誰かが引き取ったのだろうか。もう猫はどこにもおらず、真新しい白の建売住宅が建っている。

 

 

▼去年の3月に体重を落とすことにして、71キロから63キロまで落としてからも維持し続けている。なんでうまくいったか考えたが、自分を信用しなかったというか、客観視できたからかもしれない。自分に対しての取扱説明書をつくるような感じがあった。

 

私は根性があるわけでも意志が強いわけでもない。楽な方に流れるし、激しい運動も面倒だ。まごうことなき駄目人間であるが、なんか書いていて悲しくなるな。つまり「自分はあの人みたいに努力できないから失敗した」ではなく、自分のような欠点があってもできる方法を考えたほうがいいという話です。みな欠点はあるし、欠点とどう向き合うかなのだろう。

 

私は記録をとるのが好きなので「あすけん」というダイエットサイトで献立と体重の記録をつけた。入力した数値はグラフでみられるので、たまに見て「ぐふふふふ、減っとる‥‥」とニヤニヤできる。案外こういったことが大事なのかもしれない。運動をしなければならないが、単調な運動は飽きる。定期的に新しい筋トレグッズを買って、道具にやる気を引き出してもらったり、やる気が出ないときはYouTubeの短い体操動画みたいなのをどれか一つやった。これはたぶんテストや資格の勉強、仕事のやり方なども同じで、根性だけでがむしゃらに突破するより、当事者の性格、長所、短所にあった方法を発見することが重要に思える。

 

友人は趣味で漫画を書いていて、いつかちゃんとしたものを書きたいといいながら30年になる。書きたい書きたいといいながら、いつの間にか酒を飲んで泥酔し、自己嫌悪に陥って一週間を終えるのだとか。こわー。なかなかにつらそう。詰将棋を解く時、詰めの図から逆算して解くことがある。この形にするならこう、それにはこう、とゴールから逆に道をたどっていく。同様に、漫画を描いている自分、それをやるためにはこれをやる、あれをやるというように逆に道をたどっていけないものかなと思う。口でいうのは簡単でそうもいかないのだろうけど。

 

それと完全な計画を立てようとして、どうも計画が立てられない場合もある。今一つ自信がないとか、うまくいかないのではとか、いかにも失敗しそうな予感がある。それでも金銭的に負担がある場合を除けば、とにかく手をつけてみるのがいいのだろう。手をつけてみれば、やっている間にやる気がわいてくることがある。偉そうなことを書いてしまったな。何もやらない人が。

 

 

▼映画の感想『私の叔父さん』を書きました。デンマークの農村で酪農を営む叔父と姪。娯楽もほとんどなく、穏やかでまるで時間が止まったような生活。地味ですが私にとってはいい映画でした。