玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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数値化される世界

▼雨の9月。線状降水帯が発生し、レベル5の土砂災害特別警報が出るのも珍しいことではなくなってしまった。気候変動の影響はかねてからいわれているものの、思ったよりもずっと早く進行しているのかもしれない。降れば大雨、降らないところはずっと降らない。


夜になってベランダの月下美人が咲いた。独特の強い香りで、すぐに気づく。今年は二つ。一晩だけで閉じてしまうのが儚い。

NHKでAIによる雇用への影響を特集していた。AIで仕事を失ったライター、プログラムは書けないけれどアプリを開発して売却した人、人員削減によって建築部門に異動した人など悲喜こもごも。当たり前だけど、みなまともなことにAIを使っている。もうちょっと、こう、ふざけた使い方はないものかとも思う。

そこへいくと卑屈くんは偉い。オンラインゲームで他のユーザーと揉めたとき、即座にAIを起動して相手の主張を読み込ませ「効果的な反論を考えて」と命令し、相手を煽っているという。「やっぱAI最強っすわ~。AIなしにネットバトルでの勝利はない」と誇らしげだった。

早く天に召されればいいのにね、以外に感想がない。


▼『数字まみれ』(ミカエル・ダレーン、ヘルゲ・トルビョルンセン)を読んでいる。

相手を説得するときに具体的な数字を用いるのは効果的だ。また、議論や資料に数字が出てくると、あたかもそれが正しいことのように思えて説得力があがる。でも、本当に数字は正しいのだろうかと疑問を投げかけている。

この本は「数字のトリックにだまされるな」という本ではなくて、数字にはさまざまな良い効果(客観的な指標、比較の容易さ)と悪い効果(比較中毒に陥る、利己的な性格になることがある)があって、それを正しく認識しましょうという内容。

どうしても比較の便利さに流されてしまうことがある。映画を観るとき、ハズレを引きたくないあまりにレーティングが高いものを選ぶこともある。このレーティングというものがそもそも厄介で、対象を評価し続けると辛く点数をつけてしまう傾向についても書かれている。また、ホテルなどに泊まった時、本当はとてもよい体験をしたにも関わらず「部屋の広さ」「眺望」「アクセスのしやすさ」「清掃」など部分をみていくと「落ち葉が散らかっていたな」などと評価が悪くなり、減点主義に陥ってしまう。自分がすばらしい旅行をしたのに「それほど良い旅ではなかったのでは?」と、数字に引っ張られて体験そのものを否定的に見ることすらあるのだ。SNSで「いいね」を多く集めるユーザーが、利己的な行動に走りがちになる危険性も書かれている。

なんでも数値に置き換える定量化は危険だけど、定量化して比較することほど楽なものもない。多くの情報を処理するには定量化が最適なのだろう。数値ではなく質をみる定性化の評価は難しいし、時間もかかる。なんでもかんでも数値化されることにうんざりするが、今更数値化される前には戻れない。だとしたら、数字とどう付き合っていくかということなのだろう。


▼朝、月下美人はしぼんでいた。それでもまだ強く香りを放っていた。

ペストマスクの女

▼8月は思ったより涼しく、このまま逃げ切れるのかと思ったら、そうは問屋が卸さないのだった。あちい。九州の方は40度になっているらしく大変なことだ。

打ち合わせ相手を待っていたところ、頭から胸の辺りまですっぽり黒ずくめで覆われた相手がやってきた。帽子にサングラス、フェイスカバーでだいぶ怪しい。中世ヨーロッパで医師がペストを防ぐためにかぶっていたペストマスクを思わせる。ペスト治療に携わった医師であり預言者としても有名なノストラダムスのような。などと思っていたら、黒ずくめの人から「どうも」と声をかけられた。隣席のTさんだった。

ノストラダム子だなと思う。フェイスマスクを着ける女性は、美容に気をつかって日焼けをしたくないのだろうけど、お洒落からは程遠い。不気味だ。「それで本当にいいのか?」と思ってしまう。Tさんに訊いたところ「今日の打ち合わせ相手には、まともなオスはいませんので大丈夫です!」ということだった。大丈夫とは。コンパではなく仕事なので、お忘れなきよう。しかし、今日はカスばかりだもんな! 納得しました。カス代表として。


▼8月も終わりが見えてきた。先日は千葉、今日は石川で線状降水帯による豪雨が起きている。ネパールでも洪水によって100人以上の方が亡くなっている。気候変動の影響が年々ひどくなっているように感じる。

『こうして世界は、終わる』(ナオミ・オレスケス、エリック・M・コンウェイ)という本は、紀元2393年の世界からなぜ世界は破滅したかを歴史学者の視点で振り返る科学に基づいたフィクション作品。人類は気候変動による連鎖的災害の問題を早い段階で把握していたにもかかわらず、危機に対処することができず、全生物の7割が死滅したことが描かれる。

このフィクションでは人類滅亡の原因は一つではない。政治、経済、科学それぞれが複雑にからみあい、結局有効な対策を打てないまま人口が減っていく。学者は自分の専門領域外のことに口を出すことをためらい、警告を出すことに慎重になりすぎている。企業は訴訟に対抗するため、シンクタンクを抱き込み、自社に有利なデータを出して防衛する。政治家は、まだ地球に時間は残されていると信じ、企業や支持者の顔色をうかがってしまい有効な対策をとらない。

この危機にもっともうまく対応したのが中国で、高地に国民を強制移住させる。民主的な政府より、強権的な独裁政権の方が危機に対してはうまく機能したという。これはもちろんフィクションだけど。しかし、恐ろしいのはここに書かれているリスクは、現在のように大国の政治家が暴走するリスクは含まれていないことだ。本が著された当時、人類はそこまで愚かではないと思われていたのかもしれない。政治家も民衆も底抜けに愚かだったわけで、実に恐ろしいことになっている。


▼最近のAmazonの商品配送は配達業者によってかなり独特で、統一されたガイドラインがないのかもしれない。在宅しているのにガスメーターのボックスに入れられたり、朝6時にやってきて持ち帰ったという不在連絡票が入っていたり、驚かされることもある。以前はクロネコヤマトが請け負っていたからなんの心配もなかったが、今や業者によってレベルはマチマチだ。

先日、3万円ほどするパソコンパーツを買った。外出先で、配送業者から配達済みを示すメールが届いた。集合住宅の郵便受けに、商品が半分ほど差し込まれた写真が送られてきた。誰でも商品を取れるようになっている。いや、3万円だぞ。私の月収、どんぐり3個なのにその置き方は無防備すぎやしないか。

私の住む町は日本のゴッサムシティであり、治安の悪さはなかなかのもの。スーパーでは「最近、買い物かごの持ち帰りが頻発しております」とアナウンスが流れるし、都心ではとっくに絶滅したと思われていた暴走族も最近また元気に活動している。そんなところに、商品を半分さしこんでおいたら、これはすぐやられますよ。ここの治安の悪さをなめるんじゃないよ。

一刻も早く帰らねばならない。駅からタクシーを使い「最近の業者はよおおおおお、教育がよおおおお」とプリプリしながら帰宅。慌てて郵便受けを見に行くと、きちんと郵便受けの中に商品を入れてくれている。郵便受けの中に商品を入れてしまうと写真が撮れないため、わざと郵便受けに半分差し込んだ状態で写真を撮って、メールで送ってくれたのだ。うーん……そりゃ、ま、そうしますよねえ! デヘヘヘヘ……となった。じゃ、ここまでのタクシー代なんなのという話ではあるが。何も事件は起きていない。大騒ぎしたのは私だけである。


▼母の認知症は進んでいるのか、どうなんだか、よくわからない。毎日接していると逆に差が見えにくい。ただ、同じ話を何度もされるのは変わりない。これにイライラするところはあったが次第に慣れた。

人が挨拶をするとき、昨日「おはよう」といったから今日いわないということはない。今日は今日で「おはよう」という。コミュニケーションとはそういうものだし、同じ話を何度も繰り返すというのも同様にコミュニケーションの一部と捉えると、腹も立たなくなった。なんでも慣れていくのだな。


▼映画の感想『フランケンシュタイン アダム・ザ・モンスター』『ロングウォーク』『ダウントン・アビー / グランド・フィナーレ』『またヴィンセントは襲われる』を書きました。えらいたくさん書いてるな。

やっぱり『ダウントン・アビー』はいい。一番好きなドラマかもしれない。

すべてが変わりゆく

▼あいもかわらずMLB(メジャーリーグ)を観ている。夏休みだから、日本で野球をやっている子供たちからの質問をMLBの選手、監督、コーチなどに答えてもらうコーナーがあった。面白かったのは「野球選手になるのに何が必要なのですか」という質問。これは定番の質問で、それまでも何度か観たことがある。ただ、ちょっと違うのは答えだった。日本人選手は子供の夢を壊さないためか「監督やコーチのいうことをよく聞いて練習すること」「夢を持つこと」「努力し続けること」はたまた「親孝行すること」という答えもあった。番組で答えたのはどこかの監督だったかもしれないが「選手に最も必要なのは才能」といった。うーん、正しいと思いますが……包まんねえ、オブラートに。

才能ある人が努力しつづけて、それでようやくプロになれるのだろう。それはそうですけどお! と思ってしまうな。アメリカと日本の考え方の違いかもしれない。プロ野球選手になれなければ人生が終わるわけでもないし、なれたから偉いわけでもない。子供に対して一人の人間として向き合い、現実的に自分にあった職業を探すという意味では、アメリカ型の答えの方が正しいともいえる。

それにしてもねえ、170キロの豪速球をぶつけてくるような回答、ありがとうございます。


▼久しぶりにバナナマンとおぎやはぎの深夜ラジオを聴いたら、自分の子供のことを話していた。深夜ラジオの面子はずっと変わっていない。伊集院光、おぎやはぎ、バナナマン、山里亮太、オードリー、ハライチ、ナイナイなど、10年以上続いているものばかり。昔、独身だった芸人たちも結婚し、子供が生まれ、自然に話題は子供のこと、健康のことに変わったのだろう。時の流れを感じてしまうな。しかし、深夜ラジオの面子が変わらないのはなぜなのだろう。安定して人気があるということなのかな。

深夜ラジオを聴くきっかけは、学生時代にテスト勉強をしているときになんとなく聴き始めたのがきっかけだった。そもそも若者が聴くものという認識だった。就職したらラジオのために夜更かしなどできない。深夜ラジオは生活からいつの間にか遠のく。それが当たり前だった。しかし、今や番組は配信サイトやサブスクで視聴するように変化した。そうなると空き時間に視聴できるんですよね。つい聴いてしまうな。

思えば、自分の抱えている未熟さは、いまだにこういった番組を視聴していることも原因の一つかもしれない。子供の頃に周囲にいたおじさんは、もっと精神的に成熟した“おじさん”だったように思える。でも、それは私が子供だったからそう見えただけで、みなそれなりの未熟さを抱えていたのだろうか。


▼仕事を請けている知人の家に行き、打ち合わせ。彼が準備をしている間、彼の子供(小学生男子)が私の相手をしてくれた。給食のときに友人としりとりをしているというのを聞いて、いつの時代も変わらないものだと思う。一緒にしりとりをしたが、彼がいう言葉が「老害」「反社」「サブスク」など時代を反映したもので感心する。

私も、小学生に負けてならじと「淫獣」などで対抗する。「いんじゅうって何?」「みだらなケモノと書いて“いんじゅう”だろうが。これだからキッズはよぉ。なんのために漢字の勉強してるんだ」「い? い? いんじゅう? ヒッヒッヒッヒ! いんじゅう~!」とウケていた。それからは、“い”が出てくるたびに元気よく「いんじゅう!」と叫ぶ子供になった。トイレに行ったとき、知人の奥さんから「あんまり変な言葉教えるの、やめてもらえます?」と、やや冷たい語調で注意された。

以降、私は仏像のようにおとなしくなった。五十にして、淫獣で叱られたくない。というか、淫獣て何という話だが。そして彼が「いんじゅう!」といったとき「……いったん、しりとりやめるか?」と奥さんの方をうかがったところ、深々とうなずいていました。それからは『ポケモンGO』での、シャワーズの育て方やおすすめ技について訊くなどした。「エンジョイ勢ならそれで十分じゃない?」とのアドバイスを頂戴しました。今後、エンジョイ勢としてはご教示いただいた方針で育成いたします。


▼ジャッキー・チェンの映画『シャドウズ・エッジ』を観たら、ジャッキーがアクションをかなりがんばっていたので嬉しくなる。まだこんなに動けたとは。ジャッキーもだが、相手役のナイフ使いのレオン・カーフェイもすごかった。いつしかジャッキー映画は純粋に映画を楽しむというより、ジャッキーがどれだけ動けるか、元気な姿を見て喜ぶという見方になってしまったな。ジャッキーは歳をとるし、私のブログの内容もやはり年相応に変わっていくのだ。すべてが変わりゆくのは今までも同じだが、その変化についてより意識的になってきたように思う。初めから終わりの全体像がぼんやり見えること、それが歳をとることかも。


▼フランス産のダンジョン探索ゲーム『Sol Cesto』はクリアした。全職クリアまでやるか悩む。ふうむ。農民でのクリア、さすがに無理ではないか? 騎士が圧倒的に強く、次点で魔法使い、狩人、トカゲ、吸血鬼、そんで戦士という印象。農民も「HP2回復で敵を倒す」能力をつければ、なんとかいけるのだろうか。などと。ほぼ読む人がいない日記に、やる人が少ないマイナーなゲームのことを書いてしまった。わかる人が千人に一人程度の話を今日も書き続ける。