玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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リリーフカー

▼相変わらずカードゲーム『Marvel Snap』を遊んでいる。

マーベルスナップには、新カードや準新カードが手に入るスポットライトトレジャーという仕組みがある。今期のスポットライトトレジャーに『ハイエボリューショナリー』が入っていた。1/4の確率だが引き当てた。ぐふふふ。

 

このハイエボというカードは極悪な強さで半年ぐらい煮え湯を飲まされ続けてきた。カードゲームあるあるだが、自分が持っていない強カードについては「ナーフ(弱体化)せえよ」と思っていた。「世の中でハイエボと戦争だけは許してはいけません」といっていたが、自分で使いだすと「たまりませんな、こりゃ。ウヒャヒャヒャ」となってしまうな。少し使ってみたがアーマーと狂犬コスモを入れていることもあり、安定感があって強い。デッキとして面白いかといえば、死ぬほどやられたので面白さはない。

4コスがムーンガールでいいのかわからないがとりあえず入れている。シーハルクをコピーして2枚に増やし、5ターン目をパスし、6ターン目でインフィニット、シーハルク2枚で40点出すというコンボを狙っているが15回プレイしてその展開に1度もならなかった。うーん、違うのか。ショッカーやアボミネーションを普通に入れときゃいいのかも。なんにせよ強い。

 

子供の頃、ボーイスカウトで横暴な先輩に悩まされた。スーパーのレジで踊りながら猥褻な本を買ってこいなどの指令が下される。地元のスーパーなので、知り合いに見られたらと思うと気が気じゃなかった。ボーイスカウトは縦の関係が絶対で、一年違えば主人と奴隷ぐらい違う。逆らうことなどできないし、指導者などにチクったらボコボコにされただろう。上の世代を憎悪しており、その反動もあってか横の結びつきは強い。上の世代が卒業し、ついに私たちが一番上の世代になった。あれほど上を激しく憎んでいた同期のAが、後輩に対して横暴な人間に変身したことに驚いた。もっとも体制の破壊を望んでいた者が、自分が体制のトップになった途端、体制の強固な守護者に変わってしまう。悲しき人間の性を垣間見た思いがした。

 

そんなことを思いながらわたくし、ハイエボデッキを使っております。ハイエボは悪。強いけれど悪! しばらく使ってこ。

 

 

▼野球では試合中、ピッチャーが交代する際、次のピッチャーが車に乗って登場するリリーフカーというものがあった。チームカラーに染め上げたオープンカーが使用されることが多い。最近はあまり見かけなくなったがまだ阪神や横浜は使っているのかもしれない。

 

大谷選手の活躍もあってメジャーリーグ中継をよく観るようになったけれど、メジャーではリリーフカーを見かけないことに気づいた。リリーフ投手が登場する際、外野のブルペンから歩いていく姿を後ろからカメラでとらえていることがある。あの後姿が頼もしく、たまらなくかっこよく映る。

 

日本のリリーフカーの登場を調べると1964年であり、高度経済成長期と重なる。国民も豊かになり、自家用車に乗るようになったとはいえ、さすがにスポーツカーとはいかない。そんな憧れもあいまってリリーフカーが採用されたのだろうか。アメリカはピッチクロックやタイブレークなど試合時間短縮の取り組みを導入している。効率化を重視する国なのにリリーフカーを導入しないことは不思議に思えた。

 

アメリカ人は車を芝の上で走らせることに抵抗があるのだろうか。それはちょっと違うだろうという。これは日本人がカリフォルニアロールを「寿司」といわれたときの感覚に似ているのかもしれない。それを作ったり、食べたりすることをもちろん否定するわけではないし、美味しいとも思う。だが、それを「寿司」ということはいったん持ち帰らせてほしいというか。私の中の寿司ポリスが出動してしまう。べつにこだわりはないんだけど。

 

同様にアメリカはリリーフカーの存在を認めないのかもしれない。グラウンドは神聖なものであり、車が無造作に踏み荒らしてよいものではない。日本人にとっての土俵がアメリカ人にとっての芝であるという信仰に似た何かを感じる。

 

というところまで考えたのだけど、検索してみると少し事情は違った。リリーフカー(メジャーでは「ブルペン・カート」)は現在のメジャーリーグではまったく使用していない。ただ、1950年代にはリリーフカーが登場し70年代も使われていたが80年代には完全に姿を消したとのこと。すでに使われていたのだ。しかも芝を痛めるということはなく、BGMにのって登場して選手の気持ちを盛り上げるということが廃止の理由らしい。思ってたのと違ったな。残念。グラウンドが神聖とか、勝手に美化していたがそんなことはなかったのだ。

 

このガッカリ感はなんだろうか。子供の頃、憧れの恐竜にティラノサウルスがいた。ティラノサウルスといえば獰猛で恐竜界最強というイメージですが、今ではティラノサウルスより大型のギガノトサウルス、スピノサウルスなども発見されている。また、あれほど恐ろしかった獰猛な姿も、鳥のような毛が生え、最近では唇があったという研究もあり、見た目がどんどんマヌケになっている。頼むから研究者はもうそれ以上調べないでほしい。私の理想が。その気持ちに近い。

 

なんの話をしたかったんだっけ。

ARK

▼桜が咲き、ウグイスの初啼きを聞いた。そして花粉症は真っ盛り。くしゅんくしゅんやっている間に四月も中盤に突入。

協和の「ひじきふりかけ」というものを食べていた。これがみょうに癖になる味で、いつもはご飯一杯で十分だが、炊き立てご飯にこれがあると二杯食べてしまう。お世話になっている会社の休憩室で昼ご飯を食べていると、暇人どもがやってくる。「何食べてるんですか?」と弁当箱をのぞきこんでくる。おかずは外で買い、弁当箱にはご飯にひじきふりかけだけ。私があまりに「うまいうまい」いうものだから「そんなに?」と疑う人たちがいる。

 

ただのふりかけだから、そんなに高いわけでもないし、めちゃくちゃにうまいわけではないが異常にあとをひくのだ。おそらく麻薬が入っている。協和のふりかけには麻薬が混入している。声を大にしていいたい。このふりかけは普通には売っていない。麻薬入りだからではなく生協でしか販売がない。しかも生協では毎週注文できるわけではない。なぜなんだ。中毒者に対してあまりにつらい措置。選ばれし者だけが買えるふりかけ。

 

私がうまそうに食べていたせいか、バレンタインのチョコをくれた人たちから「お返しはひじきふりかけがいい」といわれていた。ようやく注文したふりかけが届いたので配った。後日、あげた人たちから「麻薬、入ってました」といわれた。でしょう! 違法薬物なんですよ、ひじきは。

 

協和のふりかけは400円ぐらいで微妙に高いので、似たひじきふりかけを探しているのだけど、みなちょっと違う。なにか一味足りないし、中毒性がない。どれも麻薬が入っていない。おすすめのひじきふりかけありましたら教えてください。

 

 

▼日記をずっと書かず、何をやっていたかといえば『ARK: Survival Evolved』をやっていた。ARKのレビューを見ると「やりすぎて留年した」というコメントが並んでおり、そこまでやるか? 大袈裟なと思ったが、これは留年する。五留ぐらいする。ARK2万時間というARK廃人もゴロゴロいる世界。こわー。

ウホウホの原始人として恐竜島に放り出され、そこから技術を進歩させ、恐竜たちを飼いならし探検していくゲーム。『マインクラフト』『RUST』などに少しにており、そういったものが好きならはまるかもしれません。とにかく自由度が高く、運営は超放任主義でユーザーを育てているようで、何も教えてくれない。

 

これが体力で、これが空腹度でとか、そういった基本的なことも何も教えてくれなかったように思う。「ほれ、生きてみい」といわれ、いきなり弱肉強食の世界に放り出されるのがARK。できることはすさまじく多いし、さまざまな工夫ができて面白い。いろんな機能を隠しているわけではないのだろうが、ただ「いわない」のだ。いるな、こういう人、仕事場に。良くも悪くも粗削りなゲーム。

ようやく先日、3つの洞窟をクリアし、ゲームも中盤に入ったのかもしれない。白いティラノサウルスもテイムできた。ティラミスと名付けた。私の恐竜は「ティラミス」とか「ショコラ」とか「プチシュー」とか、かわいらしいものばかりだ。なぜそんな気持ち悪いことをしているのか、自分でもよくわからない。ARKにはそんな魅力があります。ええ。

 

不親切で難しいところが魅力的。手塩にかけて育てた恐竜や装備も、死亡すれば一瞬で失う。失った恐竜たちは帰ってこないのだ。自分は何回死んでも復活できるが、裸一貫での復活となる。だが、自分が死んだ場所には自分の死体があり、一定時間内にたどりつけば装備も回収できる。恐竜たちもまだ生きている可能性がある。回収に行く緊張感は並々ならぬ興奮がある。ようやく装備を回収し、恐竜と再会できたときの安堵感はたまらない。脳汁ドバドバ出る。また、恐竜が死んでいた時の絶望感も‥‥。

 

拠点整備が終われば洞窟探検となるが、洞窟は大きさに制限があって、すべての恐竜が持ち込めるわけでもない。各洞窟の特性にあった恐竜をつれていかねばならず、その恐竜を捕まえるためにトラップをあれこれ工夫して作るのが楽しい。トラップや道具を効率的に生産するための試行錯誤するのもいい。どんな恐竜でも捕まえればいいかといえばそんなことはなく、恐竜にはレベル差がありハイレベルのやつを見つけるのに何時間もかかってしまう。また、見つけたからといって必ず捕まえられるわけでもない。捕獲しようと危険地帯をうろついている間に、危険なアルファ恐竜に自分が狩られることもある。資源が豊富ですてきな新天地を見つけたと拠点を作ったら、ティラノサウルスが湧く真横だったり。怖すぎる。そりゃ2万時間いくし、5留する。ひじきとARKには麻薬が入っている。

 

 

▼そういえばトム・クルーズの『トップガン マーヴェリック』を観ていた。映画の感想に書きました。映画もここ最近ほとんど観てない。そろそろ観たくなってまいりましたよ。

メンマの瓶

▼三か所のスーパー行脚。なにかすごいことをやったのではなく、スーパーマーケット三店をまわっただけ。無意味に偵察した。

 

物価が上昇しているのをひしひしと感じる。インフレが起きると現役世代だけではなく、お年寄りの生活がだいぶ圧迫されるはずだけど大丈夫だろうか。働けないお年寄りは収入を上げる手段がない。インフレすれば預金が目減りするのと同じ意味がある。かつて10万で暮していた生活費が15万に上がれば生活できない人も増えるだろう。新年度から去年の物価上昇率(3.2%)に対し、年金支給額を2.7%引き上げるというニュースを見た。物価は少なくとも15%~25%ぐらい上昇しているように感じるのだけど。賃金がどんぐり30個の私も震えている。ぶるぶる。

 

スーパーでメンマなどを買う。メンマの瓶を見ると思い出すことがある。高校の頃、朝礼のために体育館に移動する際、廊下にある重い扉を開けていく。私は扉を開けたが、後ろに来る人を待っていず手を離してしまい、次に来た同じクラスの女子生徒に当たりそうになってしまった。彼女は「こら、そんなことだとモテないぞ。次の人のこと考えないと」といたずらっぽく微笑んだ。私は挙動不審の童貞だったので、オタオタしてしまい「うん、ごめん‥‥」と口ごもった。

 

童貞という生き物の悲しき特性として「ちょっと話しかけられただけで好きになる」というものがあり、このときの私も例に漏れず「これは恋なのでは?」となってしまった。これは私だけでない。友人Nも会社の立食パーティーで料理を食べていたとき、そばにいた同僚の女性に「この料理、美味しいですよね?」と話しかけられた。Nから、その女性について「あれを付き合った数に入れていいか?」と真顔で訊かれたことがある。いいわけがないだろうが。なんの病気だ。

 

話が逸れてしまった。私に注意した女子生徒はちょっと不良っぽいところもあり、それが大人びて見えて魅力的だった。友人が彼女について「ちょっと遊んでそうじゃない?」などといえば「そうかなあ。けっこうちゃんとしてそうだけど」などと、何も知らないのにかばったりしていた。そんな彼女だが突然学校に来なくなった。聞くところによるとメンマを万引きしたのがバレて停学になり、そのまま退学したという。いや、メンマて。

 

メンマにはそういう薄い思い出がある。

 

 

▼ホームランが出ずに苦しんでいた大谷選手がついに第一号を打った。喜びを爆発させるのではなく、一塁前では軽く拳を握りしめ淡々とした表情でベースを一周した。ベンチ前でチームメイトにヒマワリの種を投げられ、そこでやっと安堵の表情を浮かべていた。ああ良かったなあと思ってしまう。元通訳の違法賭博問題もあり、野球に集中しにくいなか、ついに待望の一発という。

 

ホームランの打球はもちろんすばらしかったが、その前の打席のレフトフライも鋭い当たりだった。また、第二打席ではボテボテのゴロに全力疾走し、次の打者の二塁打の間にホームに生還した。あれは大谷の足でなければセーフにならなかった。必死の走塁の姿に打たれるものがあった。いいときというのは特に何も思わないものの、駄目なときの過ごし方や態度が重要なのだろう。

 

スポーツぐらいくだらないものはないなと思う。自然を破壊して施設をつくり、大の大人が球を打ったり、投げたり、そんなことに命がけになっている。人が生きていくのに最も大切なのは、食糧を獲ったり、作物を育てたりする仕事で、第一次産業に従事している人間こそがもっとも重要な仕事をしている。そう思う反面、スポーツ、美術、芸術、芸能、文学、そういったものに強く惹かれ、これほどすばらしいものはないと思うのも本当なのだ。

 

生きていくのに必要ないどうでもいいものばかり楽しんでしまうな。昨日、新海誠監督の『すずめの戸締り』を観た。映画の感想のほうに書こうかな。そこそこ面白かったものの、まあ、なんですか、昨日今日会っただけの人にそこまで命かけるかなあというのがちょっと疑問だった。姪とおばが本音をぶつけて傷つけあう場面があり、いってはいけないことをお互いにいってしまう。そこが良かった。おばは姪を引き取ったため、婚活もうまくいかず独身でいる。その不満を姪にいってしまう。

 

それはきっと本当の気持ちで「でも、それだけじゃない」というのも本当なのだ。姪を引き取ったときは、彼女のことがかわいそうでなんとかしてやりたいと思っていたはず。人はきれいなものも、汚いものも、同時に抱えることがある。近い関係だからこそ、愛憎を同時に覚えることがある。謎めいた設定が多く、いろいろ考察させたいように思えて、そういうのはもう面倒臭くなってもいる。東日本大震災というデリケートな背景があり、地震を扉を閉めることで鎮めるという奇妙な設定は面白かった。ただ、設定こそ風変りだったが、それが作品の面白さに直結するかといえばそれはまた違うように感じました。