玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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メンマの瓶

▼三か所のスーパー行脚。なにかすごいことをやったのではなく、スーパーマーケット三店をまわっただけ。無意味に偵察した。

 

物価が上昇しているのをひしひしと感じる。インフレが起きると現役世代だけではなく、お年寄りの生活がだいぶ圧迫されるはずだけど大丈夫だろうか。働けないお年寄りは収入を上げる手段がない。インフレすれば預金が目減りするのと同じ意味がある。かつて10万で暮していた生活費が15万に上がれば生活できない人も増えるだろう。新年度から去年の物価上昇率(3.2%)に対し、年金支給額を2.7%引き上げるというニュースを見た。物価は少なくとも15%~25%ぐらい上昇しているように感じるのだけど。賃金がどんぐり30個の私も震えている。ぶるぶる。

 

スーパーでメンマなどを買う。メンマの瓶を見ると思い出すことがある。高校の頃、朝礼のために体育館に移動する際、廊下にある重い扉を開けていく。私は扉を開けたが、後ろに来る人を待っていず手を離してしまい、次に来た同じクラスの女子生徒に当たりそうになってしまった。彼女は「こら、そんなことだとモテないぞ。次の人のこと考えないと」といたずらっぽく微笑んだ。私は挙動不審の童貞だったので、オタオタしてしまい「うん、ごめん‥‥」と口ごもった。

 

童貞という生き物の悲しき特性として「ちょっと話しかけられただけで好きになる」というものがあり、このときの私も例に漏れず「これは恋なのでは?」となってしまった。これは私だけでない。友人Nも会社の立食パーティーで料理を食べていたとき、そばにいた同僚の女性に「この料理、美味しいですよね?」と話しかけられた。Nから、その女性について「あれを付き合った数に入れていいか?」と真顔で訊かれたことがある。いいわけがないだろうが。なんの病気だ。

 

話が逸れてしまった。私に注意した女子生徒はちょっと不良っぽいところもあり、それが大人びて見えて魅力的だった。友人が彼女について「ちょっと遊んでそうじゃない?」などといえば「そうかなあ。けっこうちゃんとしてそうだけど」などと、何も知らないのにかばったりしていた。そんな彼女だが突然学校に来なくなった。聞くところによるとメンマを万引きしたのがバレて停学になり、そのまま退学したという。いや、メンマて。

 

メンマにはそういう薄い思い出がある。

 

 

▼ホームランが出ずに苦しんでいた大谷選手がついに第一号を打った。喜びを爆発させるのではなく、一塁前では軽く拳を握りしめ淡々とした表情でベースを一周した。ベンチ前でチームメイトにヒマワリの種を投げられ、そこでやっと安堵の表情を浮かべていた。ああ良かったなあと思ってしまう。元通訳の違法賭博問題もあり、野球に集中しにくいなか、ついに待望の一発という。

 

ホームランの打球はもちろんすばらしかったが、その前の打席のレフトフライも鋭い当たりだった。また、第二打席ではボテボテのゴロに全力疾走し、次の打者の二塁打の間にホームに生還した。あれは大谷の足でなければセーフにならなかった。必死の走塁の姿に打たれるものがあった。いいときというのは特に何も思わないものの、駄目なときの過ごし方や態度が重要なのだろう。

 

スポーツぐらいくだらないものはないなと思う。自然を破壊して施設をつくり、大の大人が球を打ったり、投げたり、そんなことに命がけになっている。人が生きていくのに最も大切なのは、食糧を獲ったり、作物を育てたりする仕事で、第一次産業に従事している人間こそがもっとも重要な仕事をしている。そう思う反面、スポーツ、美術、芸術、芸能、文学、そういったものに強く惹かれ、これほどすばらしいものはないと思うのも本当なのだ。

 

生きていくのに必要ないどうでもいいものばかり楽しんでしまうな。昨日、新海誠監督の『すずめの戸締り』を観た。映画の感想のほうに書こうかな。そこそこ面白かったものの、まあ、なんですか、昨日今日会っただけの人にそこまで命かけるかなあというのがちょっと疑問だった。姪とおばが本音をぶつけて傷つけあう場面があり、いってはいけないことをお互いにいってしまう。そこが良かった。おばは姪を引き取ったため、婚活もうまくいかず独身でいる。その不満を姪にいってしまう。

 

それはきっと本当の気持ちで「でも、それだけじゃない」というのも本当なのだ。姪を引き取ったときは、彼女のことがかわいそうでなんとかしてやりたいと思っていたはず。人はきれいなものも、汚いものも、同時に抱えることがある。近い関係だからこそ、愛憎を同時に覚えることがある。謎めいた設定が多く、いろいろ考察させたいように思えて、そういうのはもう面倒臭くなってもいる。東日本大震災というデリケートな背景があり、地震を扉を閉めることで鎮めるという奇妙な設定は面白かった。ただ、設定こそ風変りだったが、それが作品の面白さに直結するかといえばそれはまた違うように感じました。