玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ぶぶ漬けでもどうどす

▼リンゴの紅玉が余っているので、リンゴのヨーグルトケーキを焼く。紅玉の酸味が飛んで、そこそこおいし。ほほほ。

 

 

レシピを見るとサラダ油80ccとある。ケーキが油でじっとりしてしまう。ふんわり感に欠ける。油はレシピの半量もしくは1/3ぐらいでいいのかも。こうして自分好みにカスタマイズしていくのが楽しい。料理は子育てと違ってすぐに結果が出るからいいな。

 

急に不穏なことを書いてしまった。

 

 

 

▼京都人の意地の悪さは「ぶぶ漬け(お茶漬け)」の話で耳にすることがある。帰ってほしい客に「ぶぶ漬けでもどうどす」とたずねる場面が落語などでも語られていた。お客はお茶漬けが出るのだと待っているが、いくら待っても出てこない。これは「早く帰ってほしい」という意味で、京都人はこの意味がわからない客を「無粋な客」と陰で笑っているという話。

 

どうもあの話が本当とは思えない。「ぶぶ漬けでもどうどす」と主人が客に言ったとする。このとき客は京都人(ぶぶ漬けの意味がわかる)と地方人(意味がわからない)の2つに分けられる。客も京都人だった場合、迷惑だから帰れと言われているので気を悪くしてしまう。京都のような狭い町で関係がこじれることをするだろうか。また、客が地方の人間だった場合、意味がわからないので帰らない。どちらに転んでも得がないように思う。どっちにしろ良い方向にいかないのだから、ぶぶ漬けの話をする意味がない。それとも、そうまでして無粋な人間を嘲笑したいのだろうか。

 

むしろこれは京都人の陰湿さを世に広めたい“反京都”の人間の陰謀ではないか。なんですか反京都て。自分で言い出したが、そんなものがあるのか知らない。以前に何かで読んだが、京都は天皇がいたため、さまざまな権力者(主に武士)が京都までやってきた。ときに武力を後ろ盾にして無茶を言うこともある。無理難題を摩擦なく断るために、京都では婉曲な言い回しが発達したという。

 

嘲笑されたとのちに知った地方人が、恨みを晴らすためにぶぶ漬けの話を広めたのではないか。この反京都陰謀説を隣席のTさん(京都人)にぶつけてみた。彼女は「さあ、どうなんでしょう」とまったく興味がなかった。これは本当に興味がないのかな。それとも「そんな話いいから、さっさと仕事しろよ」の京都風表現では。先日、Tさんに「新しいパソコン、調子どうですか」と訊かれた。よく考えるとあれも怪しい。「新しいパソコンを買った」→「これで遅れずに仕事できるよな?」の意味ではないか。なにせやつは京都人、行間を読まねばならない。行間の何も書いていない部分を3時間凝視すれば、そこに京都人だけが読める文字が書いてあるのだ。その字がゆっくり浮かび上がってくるのです。まちがいないんだ! 新しい病院、紹介してもらったほうがいいのでは。

 

Tさんに「なにか京都弁しゃべって」とお願いしたところ「ラジャーどすえ」と言われた。こいつは本当に京都人なのか。京都人の皮をかぶった何かではないか。疑っている。