玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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甘酒

▼甘酒を作っている。甘酒というのは乾燥麹と米(米を入れない作り方もあります)を混ぜ合わせ、60度で8時間ぐらい加熱するとできる。ヨーグルトメーカーを利用して作るのが主流のようです。

最近はいろいろ親戚の集まりが多く、叔父の家でご飯を食べることがある。そのときに叔父が出してきたのが自家製の甘酒だった。話を聞いたらけっこう簡単にできるんですね。朝は、甘酒にバナナやリンゴを入れてミキサーにかけスムージーにしたものを飲むらしい。スムージーて。なんでゴリゴリのおっさんがCanCamのモデルのような食事をとっているのか謎である。どうなりたいんだ。

 

叔父はスムージーという顔面じゃない。甘酒作るより密造酒作りが似合いそう。甘酒は健康にいいらしく、目の下のクマが消え、肌のキメが細かくなって髪にも艶が出るらしい。さらに朝も早く起きられるという。いいことづくめではないか。だが、目の前の叔父は依然として山男のようだし、読者モデルになれそうもない。何か変わったのだろうか。本人は満足しているようなのでいいのかもしれない。

 

なんだか面白そうなのでアイリスオーヤマのヨーグルトメーカーを買って、わたしも甘酒を作ってみた。容器が小さいので、材料をボールで混ぜ合わせると作りやすいです。最初は段取りが悪いので手間がかかる。容器の中で麹や米を混ぜ合わせる段階でボロボロと周囲にこぼしてしまう。もう消毒もなにもない。とりあえずいいことにして先へ進む。8時間加熱し無事完成。

 

できた甘酒を飲んでみたが砂糖を全く入れないのにかなり甘いんですね。子供は好きな味かもしれません。一日に大さじ四杯ぐらい摂ると健康に良いらしいので、しばらく続けてみようと思います。きれいになって読者モデルとしてデビューする日を夢見ている。密造酒を作って逮捕されないよう気をつけたい。

 

 

 

▼どれほど良いことに見えても、「~のために」行うことは、卑しく貪欲なことだ。誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、それが失敗したと思えるときには相手、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だと慢心が生まれるからだ。つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、「~のために」という言葉も考えも出てくることはない。「ツァラトゥストラはかく語りき」(ニーチェ)

 

急にね、ニーチェなんですけども。川でおぼれた子供を助けるとき、とっさに水に飛び込むようなものが真実「~のために」ということであって、それ以外の「~のために」は自分のためでしかないのか。この「考えないでやるとっさの状態」というのを常日頃から作ることは可能なのだろうか。「考えない」という状態を作ろうとすることがすでに考えることだから、それもまた邪念である。結局、考えないことが難しいとしたら、これはもう考えるしかないのであって、考えた結果「~のために」と思ってしまったのであれば、それはそれで受け入れるしかないのかしら。などとねえ、グルグルとねえ。

 

あんまり「~のために」といわない方がいいのだろう。小学校の頃、「俺はお前たちのために怒ってるんだ!」という先生がいた。この人は生徒に人気がなかった。たしかに子供のために怒っている面はあるにしろ、半分ぐらいは自分が頭にきたからではないか。子供は言葉にはできなくても欺瞞には敏感だ。無意識に先生の心を見抜いていただろう。先生は先生で自分の言葉にいくらかの嘘が含まれていることや、子供に見抜かれている居心地の悪さを感じていたのではないか。子供も先生もお互い意識はできてないものの、心の底ではわかっていたように思えるのだ。それが先生をより暴力的にしていたように思う。

 

「うるさくて頭にきたから怒っている。今から2,3人殴る」といったっていいのだ。もっとも正直にそんなことをいわれたら、この人、ちょっと危ないかもと思うだろう。実際危ないやつだった。わたしが喋っているわけでもないのに殴られることがあった。恐ろし。

 

脱線して、途中から全然関係ない話になってしまった。

 

さておき「~のために」などといいだしたら要注意である。わたしも気をつけたい。みなさんのためを思ってこれを書きました。