玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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帝国ホテルの不思議

▼ここ何年風邪を引いていなかったが、立て続けにかかってしまった。ふりかえってみると先月の18日に風邪の日記を書いている。今回の風邪は扁桃腺が腫れて、右顎の下辺りを上に押すと痛い。ほほう、これがうわさに聞く扁桃腺の痛み。たまにぐりぐり押して鈍い痛みを楽しんでいる。アクセサリー感覚。いや、本当に痛くはあるのだけど。

 

周囲でもだいぶ風邪が流行っていると聞く。部屋に奇妙な虫が出る女こと虫ちゃんから、打ち合わせの時間をずらしてほしいと連絡があった。風邪かと思いきや「前の日、酒盛りをして盛り上がっちゃって寝坊しました」といわれる。酒盛りて。山賊か。

 

私が会社を遅刻するとき、寝坊したとしてもつい「体調が悪くて医者寄ってからいきます」とか「歯が痛くて」とか、つまらぬ嘘をついてしまっていた。寝坊で遅刻など社会人失格と思いこんでいた。その点、虫ちゃんの潔さよ。つまらぬ嘘をつくより、こういう人の方が信用できるのではないか。

 

などと書いたものの、でも、うーん、酒盛りねえ。つまらぬ嘘つきと正直者の山賊、どちらが良いのか。

 

 

▼帝国ホテルの不思議(村松友視)

帝国ホテルに勤務する人たちへのインタビューをまとめたもの。私は今まで一度しか行ったことはないのですが、場の雰囲気に気圧されることなく心地良いサービスを受けることができたのもこれを読めば納得できます。

 

当たり前と思われるサービスを提供するためには、その陰でいくつもの当たり前ではないことが行われている。ベルマンは全員が人工呼吸用のマウスピースを携帯し、救命技能認定と心臓マッサージの資格を取得しているという。在職中、この資格が役に立つ機会がない従業員もいるだろうが、それでもサービスの裏側にある厚味を感じる。宇宙飛行士の訓練の多くが、非常事態への対応に費やされるのと同じかもしれない。

 

また、部屋まで客の荷物を運ぶ際、その客が「話をしたい客」か「話しかけられたくない客」か「話しかけられたくなさそうでも、実は話したい客」かなどを一瞬で見きわめて対応するという。観察力の鋭さも問われる。客は十人十色ではなく、一人十色というほど個性が強く、難しいものだという。

 

帝国ホテルは古いだけではなく、いくつもの新しいサービスを開発している。客自身が自由に食べ物をとるバイキング方式、関東大震災後から行われはじめたというホテルでの結婚式など。

 

たぐいまれな観察力、サービスを追求した職人集団、伝統を守りつつ新しいことに貪欲に取り組む企業姿勢など感心させられることが多いが、根底にあるのはお客を喜ばせたいという親切心かもしれない。こんなにも真剣に仕事に取り組んでいる人たちがいるということに、なにやら救われる思いがするのだ。接客業の方はもちろん、そうではない方にもお薦めの一冊。

 

そういえば子供の頃、父がメロンを凍らせたシャーベットをお土産に持って帰ってきた。帝国ホテルで披露宴があり、その引き出物だったと思う。どこかの企業か財閥の御曹司の披露宴で、普段はメニューにないらしいが特別にメロンを丸ごと一個凍らせたものを作らせたのだとか。「ブルジョアジーってのはまったく嫌味だねえ‥‥」などと文句をいっていたが、一口食べてみてその美味さに驚いた。その晩のうちにメロン一個全部食べてしまったと思う。美味しさという絶対の真実の前には、主義主張など易々と吹き飛ぶということを教えられた。ブルジョアジー万歳! どこまでもついていきまっせー! となった。安い。