玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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狙っている男

▼四十半ばを過ぎてから段々と人の名前が出なくなってきた。先日、隣席のTさんと話しているときは織田裕二が出なかった。顔ははっきり浮かんでいるが名前が出ない。

 

「『踊る大捜査線』に出ていて『都知事とおんなじ青島です』っていうセリフで有名な刑事。『東京ラブストーリー』のカンチで『お金がない!』にも出てて『振り返れば奴がいる』で悪い医者やってて『ホワイトアウト』でテロリストより強くて銃が撃てる謎のダム職員やってて、航空自衛隊が映画製作に初めて協力した『ベストガイ』や『県庁の星』にも出てて‥‥」「織田裕二って、わかっていってますよね」といわれたが本当に名前が出なかった。ショック。これが老いるということか。This is oil shock.というオヤジギャグまで思い浮かんでしまった。もう首をくくるしかない。

 

以前、爆笑問題の太田さんが物忘れがひどいという話をしていた。「下にあって‥‥茶色で‥‥、えーと、つちーっ! 土だ、土!」と、土を思い出せなかった話をしていた。ああなったらかわいそうと思ったが、私もそうなる日が近いのかも。今のところ、まだ土はわかる。織田裕二はわからない。そのラインにいます。

 

 

▼隣席のTさんから「今、狙っている男の話、聞きます?」といわれる。織田裕二が思い出せず、意気消沈しているジジイを励まそうとしたのかもしれない。若い人の好意にありがたくすがり、Tさんの話を聞く。

 

Tさんがデートした男性はTさんと同じ30代半ば。俳優の鈴木亮平似の爽やかなスポーツマンという。彼は女性の扱いに慣れていて、とてもスムーズにエスコートしてくれたのだとか。「今、ものすごくつまんなそうな顔しましたね」と指摘される。それはそうだろうよ。もうちょっと面白そうな物件はないのか。違法建築とか、幽霊が出るとか、大家が狂ってるとか、そんな事故物件を待っている。鈴木亮平似のスポーツマンがスムーズにエスコートて。そんな面白くない話ありますか。

 

でもTさんは亮平にしっくりきてないようで、訊いてみると「完璧すぎる」という。「欠点がないのが欠点」という言葉がありますが、はたしてそれは欠点なのか。「幸せすぎて怖い」もそうだが、たはー、なんだそれはという。バカバカしいのでもう解散と思ったが、Tさんは亮平の話を続けるのであった。その続き、聞かなきゃ駄目でしょうか。

 

具体的にどう完璧なのかといえば、亮平はまったく人の悪口をいわないらしい。友人にも、ごくごく少数ではあるけれど人の悪口をいわない人たちがいる。人格的に申し分がなく、上司にこういった人間いると職場の空気が淀まなくていいと思う。ただ、はたして恋人としてどうなのかといえばたしかに疑問はある。

 

人は聖人君子のような人間と付き合えば幸せなのだろうか。ものすごく頭にくることがあって「あんなクズは本当に許せない」と愚痴りたい日もある。でも「そんなことをいってはいけないよ」とたしなめられるかもしれない。その意見は確かに正しいし立派だが、悪い自分に同意してほしいときもある。一緒になって怒ってくれる価値観の人があっているようにも思う。たとえ人としてのステージが低かろうとも。それと、人の悪口をまったくいわない人は立派だが、そういったタイプにはやや話が面白くない人もいる。

 

Tさんといえば一日一回誰かの悪口をいわないと具合が悪い人だから、亮平といることにストレスを感じることもあるのではないか。善人であればあるほどすばらしいというわけではなく、人は同程度に汚れていたほうが気が合うこともある。「たしかにTさんは、性格がその‥‥ちょっとアレだからねえ‥‥」というと、彼女は静かに私の右手の人差し指と中指の間の水かき部分にボールペンを突き立てた。痛いです痛いです。そういう弱いとこピンポイントで狙うのやめて。亮平はそういうことしない。

 

「それに完璧なエスコートをする人って、あのレベルに達するまでどれぐらい多くの女の人と付き合ってきたのか、過去も気になるんですよね」という。彼の過去に不安を感じたり、過去の女性たちと比べられることを恐れたり、亮平と付き合うにはそういったものとも戦っていかねばならないのか。いろいろ大変。

 

亮平のエスコートは完璧で、イタリアンレストランで食事後、行きつけのお洒落なバーで軽く飲み、彼女を最寄駅まで車で送り届けてくれたという。まだ親しくない段階で家を知られるのは嫌だろうと最寄駅にする。「しゅんさん(私のこと)にできます、この気遣い?」といわれる。アホか、できるわ。自転車ですけど。二人乗りになりますけど。

 

さらに「昼ごはん食べるとき、ちょっとお洒落な店があると『ここ入りたいけど、気後れするから先入って』とかいいますけど、そういうみっともないこと一切なかったんで」といっていた。私のレディファーストの精神が批判されている。とにかく亮平とうまくいくことを祈っている。しかし、良物件というのはあるところにはあるのだな。

 

友人A子が付き合う男性は事故物件ばかりらしく、以前聞いた好みのタイプは「年金を払っている」だった。それが「ギャンブルで借金を作らない」になり、さらに「前歯がある」になった。人の容姿をあれこれいうのは良くないが、さすがに「前歯がある」は要求してもいいはず。逆に、前歯がない男を探すの難しすぎるだろうよ。そう考えると、亮平の欠点などないに等しい。いろんな人がいるのだなと感心する。

 

 

▼映画の感想『M3GAN/ミーガン』を書きました。みうらじゅんさんもお薦めのSFホラー。昨今話題の対話型AIのこともあって、より楽しめました。