玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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一つ終わって、一つ生まれてくれたなら

▼15年ぐらい読んできた日記が終わってしまった。知り合いでもなんでもなく、コメントすら書いたこともなく、ただの通りすがりに過ぎなかったわけだけど15年通りすがっていたわけで、もはやこれは穏便なストーカーといっていいのではないか。なかなかの虚脱感。遠縁の親戚が亡くなったときより悲しい。そういうたとえ、やめとこ。

 

特に面白いわけでもなく、やる気にあふれるわけでもなく、キラキラした生活をしているわけでもない。淡々と三食の献立を書き綴るような日記が好きなのだ。世間ではちゃんとした日記が多いんだよな。やる気があるのかないのかよくわからない日記はほとんど存在しなくなった。そういう存在が恋しい。こうした日記は探すのが難しい。かつては「ReadMe!」という日記ランキングサイトがあったが2007年にサービス終了している。あれから17年が過ぎたという事実に気づいて震える。なんの進歩もなくきてしまったな。

 

あまりやる気のない人の日記が読みたいもの。そもそも、やる気のない人は日記が続かない。やる気がないまま低空飛行で着実に更新を続ける日記の存在はかなり稀有である。読み手からの反応も求めず、アクセス数で稼ごうとも思わず、じゃあ、もう何で更新しているんだという修行僧のような状態。私の日記ですけど。まともな神経ならば書いていない。そんな同胞を探してAIのbardに訊いてみた。

 

「淡々とした日常を描写した日記サイトをおしえてください」

 

  • 「日常ノート」

「日常ノート」は、著者の「なな」さんが、2013年から書き続けている日記サイトです。タイトルの通り、日常の何気ない出来事を、丁寧に描写しています。「なな」さんは、普段は会社員として働いていますが、仕事の合間に、日記を書く時間を作っています。日記には、仕事やプライベートの出来事はもちろん、読んだ本や見た映画の感想なども綴られています。「なな」さんの日記は、淡々とした筆致ながらも、日常の中のささやかな喜びや感動が伝わってきます。また、文章も読みやすく、ついつい長く読み続けてしまいます。

 

やっぱり、これからはAIの時代だな! こんなに詳しく親切に教えてくれるとは。学生のとき、クラス替えの際に親しい友達の名前を書かされることがあったが、今ならあれに「Bard」とか「ChatGPT」って書く。AIと生きていく。親切にサイトのURLやツイッターアカウントも貼ってある。クリックしてみたらサイトもツイッターも存在しなかった。ホラー! もう何も信じられません!

 

「日常ノート」の他に教えてもらった「くらしノート」「ちいさな日常」も存在しないサイトだった。私を怖がらせるのやめろ。

 

 

▼第170回芥川賞の受賞作『東京都同情塔』はChatGPTを一部使用して書かれた作品というニュースを読む(ITmedia NEWS)。

 

これからはAIに短いパラグラフを書かせ、面白かった部分を繋ぎ合わせていくやり方で小説を作る人が出てくるだろう。本人にはまったく書き手としての能力はなくても、編集する能力だけで小説家になれるとしたら、はたして小説家と呼ぶべきかは疑問だけど。私は面白い物が読めればなんでもいいので、AIで生成された小説でも読んでみたい。生成AIに規制は入るだろうが、それでもAIを利用して新しい表現が生まれる可能性も感じる。

 

今すぐ人がAIに取って代わられることはないにしろ、二十年先、三十年先はわからない。人が創作の喜びを放棄し、AIによって作られた作品をただ享受するだけの存在になってしまうとしたら。小説だけでなく、漫画、映画、絵画、音楽、お笑い、それらすべてがAIで生成されるとしたらどうだろう。

 

人格の変容といったことも起きるのだろうか。物を考えることが人間の特徴の一つだが、それが衰えていくとしたらどうなってしまうのか。無味乾燥で創造性のない人間が増えていくのか、それとも私たちは別の形でものを考え続けていくのか。創造しようとするエネルギーは、形を変えて噴き出す場所を探すようにも思う。

 

それはこれまで以上にSNSなどで積極的に意見を表明していく‥‥自分と敵対する相手を見つけてぶっ叩いていくような。うーん、その未来こなくていいかもしれない。AIを活用し、みずからの創造性を高めるような使い方、そこまでたどりつけるのだろうか。最近の私たち、それほど利口には思えないのだけど。

 

 

▼映画の感想『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を書きました。ゲーム好きにはお薦めの作品。親子で観ても楽しめる映画だと思います。