玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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元旦

▼元旦、たまった雑用を済ませにお世話になっている会社へ。そこそこの人がいた。さすがにスーツ姿の人はおらず、みなリラックスした服装。正月のよいところは電話が掛かってこないところ。ずっと正月であってほしい。

 

小学校低学年ぐらいの男の子がいる。誰かが連れてきたのだろう。お菓子をあげてもてなす。「お正月から仕事たいへんですね」と気をつかわれる。利発そうな子供。「いや、ここに来ている人はみんな家庭に居場所がないかわいそうな人たちだから。趣味でいるだけ」などというと、各島から抗議の声があがった。人の話を聞くんじゃないよ。

 

隣席のTさんもやってきた。聞けば親とケンカになり、年末年始、出社しているという。居場所がない人がまた一人。Tさんのお母さんはTさんにお節料理を教えたいのだが、Tさんはそれを拒んでいるという。「お節料理ぐらい作れないと結婚したとき困るからっていうけど、お節なんて買えばいいと思いません? ああ、もうイライラする。年末からキレたわ」といっている。

 

年始にご馳走を食べる習慣は昔からあったようだけど、お節料理を重箱に詰めだしたのは明治時代とウィキペディアに載っている。だとすると、伝統と思われていても意外と新しいものかもしれない。また、お節料理には普段料理に追われている人が正月ぐらいゆっくりするため、日持ちする料理を作ったという説もある。だとするなら、お節料理づくりに追われるのは本末転倒に思える。現在の夫婦共働きという社会状況を鑑みれば、お節を買うことが伝統の破壊とは思えず、むしろ今後は作るより買うほうが主流になっていくのではないか。それが新しい伝統となるのかもしれない。

 

ただ、Tさんのお母さんは、年頃の娘が嫁いだとき恥をかかないようにとか、一緒に仲良く料理を作りたいとか、そういう気持ちもあるのではないか。TさんにはTさんの、お母さんにはお母さんの考えがあり、どちらが正しいというようなものでもない。私が黙っていると「え? 何もいわないってどういうことですか。私、おかしなこといってます?」といわれる。気をつかって何もいわないと詰めてくるのやめて。正解を教えてほしい。

 

 

▼元旦から能登半島で震度7の地震、翌日には羽田空港で旅客機と海上保安庁の航空機の衝突事故、令和5年はたいへんな始まりとなった。

 

知人と話したとき、災害、事故もそうだが戦争、政治家の政治資金問題など暗いニュースばかりで、そんな中で子供を育てるのが憂鬱になるといっていた。お子さんがいる人は、あるいはそういう感情を抱くこともあるのかもしれない。たしかに悪いニュースはあるものの、能登半島地震の寄付はもう10億円を超えていた。ヤマザキパンは災害があるたびにパンを被災地に運んでいるが、今回ももうすでに動いている。悪いことは必ず起こるが、良いニュースもある。

 

万博を中止して能登半島地震への復興にあてるべきというニュースも見たが、たしかにその方がいいように思える。万博の資材を能登半島の復興にまわし、会場の方は「これだけ復興ができました」と被災地の復興の様子をパネル展示しておけば十分に思える。国としての展示はそれで十分ではないか。

 

 

▼今回もAIに日記のタイトルを提案してもらった。

「可愛らしい男の子と出会った正月、人々の抗議が起こる」

 

本当におまえは読んでいるのかと、問い詰めたい。

 

 

▼映画の感想『ブラッシュアップライフ』を書きました。人生を繰り返すドラマ。面白かったです。『街 運命の交差点』『428 封鎖された渋谷で』が好きな人は、はまると思います。このドラマの影響で、今年の抱負は「徳を積む」にした。積んでいくぞお、今年は。山のように積んでしまうのだから。

 

しかし、良いドラマやアニメが多いのだな。人のモラル、倫理、公共心というのは、周囲の人間からの影響と、いろんな作品からもたらされるように思う。物語の力というのは本当に大きい。良い作品が多いということは、それだけ良い世の中がやってくるようで希望を感じる。