玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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丙午

▼クリスマスの夜、人の不幸で今日もご飯がおいしいでお馴染みの卑屈くんからメールがくる。「性の6時間、よからぬことをしてないでしょうな」とあった。性の6時間という言葉を知らなかったので検索すると、12月24日午後9時から25日午前3時が1年のうちでもっとも性行為がおこなわれる時間であるというネットスラングらしい。

 

おっさんがおっさんのクリスマスの予定を確かめにくるという気持ち悪さよ。地獄。卑屈くんのことは永久に無視するとして、はたして性の6時間というのは本当なのだろうかと思う。もし、12月24日だけ性行為が飛びぬけて多いのならば、そこから出産日である十月十日後(現代では280日が目安となっているので9カ月後)である9月の出産数が多いことになる。厚生労働省のサイトをみると、平成元年~12年までの月別出生率データが公開されており、だいたいどの月も出生率は9~10%程度で均等に分布していることがわかる。9月が他の月より多いわけではない。しかし、考えてみると避妊具があるわけで12月24日の性行為数は結局よくわからないのだった。それ、3秒ぐらいで思いつくことでは。いったい私は12月25日に何をやっているのか。

ふと、同じページにあったグラフが目に入った。これは月別出生率の推移(明治12年から平成12年)をあらわしたものですが、現代では月の偏りはないものの1950年以前、大雑把にいえば戦前はかなり差がある。1~3月生まれが多くて5~8月は少ないのだ。特に6月は少ない。この偏りは何を意味するのだろう。厚生労働省のサイトは偏りについての分析はない。

 

6月に出産が少ないということは妊娠している9月に何かあったことになる。戦前の日本は農業人口が多かった。収穫の季節である9月は農業にとっての繁忙期にあたる。農作業で疲れてそれどころではなかったのかもしれない。戦後、出生率は均等に向かう。作物、肥料、殺虫剤、土壌改良、灌漑設備、農機具、そういったものが進歩し、農業にかつてのような人手が必要なくなった。農業人口は減少し、農家の次男や三男は都市にでて工場労働やサービス業に就くことになった。また避妊具の普及、進歩もある。こういった諸条件が重なり、月別出生率は均等に分布していったように思われる。

 

もう一つグラフで気になったのが昭和41年の出生率の低さ。ここだけ谷のように大幅に落ち込んでいる。これは干支の丙午(ひのえうま)の年にあたる。丙午生まれの女性は、気が強い、夫を食い殺す、火災の多い年になるなどの迷信がある。江戸初期に放火事件を起こして火あぶりになった八百屋お七も、丙午の生まれ(真偽不明)という言い伝えがある。干支は十二支だが、十干(じっかん)と合わせて六十干支(ろくじっかんし)、つまり六十年で一回りする。

 

前回の丙午の年である昭和41年(1966年)は、もはや現代にあたると思うがそれでも縁起を担いで出産が控えられていたことに驚く。次の丙午は2026年で、あと2年後。また出生率は落ちるのだろうか。もはや丙午といってもピンとこず「丙午ってなに?」となりそうだけど。私の祖母も丙午生まれだった。つまり、前々回の丙午(1906年)生まれ。おじいちゃんの日記を読むと、おばあちゃんとケンカしたとき「バアさんが口をきいてくれぬ」と、しょげている。おばあちゃんは気が強かったし、口もうまかった。おじいちゃんは太刀打ちできなかったのかもしれない。年末は、おばあちゃんの好きだった黒豆を煮ようと思う。おじいちゃんは何が好きだったんだっけ。日記をめくると「今日のお昼はカップラーメン」などと、ごきげんだ。あんた、小学生みたいだな。

 

 

▼あいかわらずAIにブログのタイトルを提案させている。「出生率データから見る丙午生まれの祖母の気の強さと口のうまさに驚き!」などと提案してきて、あいかわらずAIは内容を読んでないなと感心する。もう、君には頼まない。