玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

へらへらで、ゴー

▼夏に咲くはずの月下美人がまた咲いた。猛暑の影響とはいえ、今年は三度咲いたことになる。蕾がついたので新聞紙をかぶせて暖かくしておいたのが良かったのかもしれない。いつもよりも花は小さいが香りは同じように強かった。

 

 

▼ちいかわでやっていた、いなり餅を作る。

味がついたいなりを買って、中に切り餅(半分に切った)を入れてレンジで3分ぐらい。寒い日に食べると嬉しくなる。チーズを入れたものも作ったが、チーズなしの方が好きだった。いなり寿司は米を詰めるのが手間だが、手も汚れず簡単でよいな。ほくほく。ちいかわって、お金のない学生みたいな物ばかり食べてるが、そこに共感してしまう。

 

 

▼以前に一度書いたが、音楽・体育・図工・家庭科・美術のような技能教科には点数や成績をつける必要がないように思える。私は足が遅いから体育が苦手だと思いこんでいたが、のちのち球技が得意だということに気づいた。成績が呪いのようになってしまい、自分で「苦手なんだ」と勝手に思いこんでいた。苦手だろうと趣味でやったら楽しいこともある。そのことに気づくのにだいぶかかった。悪いと評価されることで駄目だと思いこみ、可能性の芽を自分から摘んでしまうこともあるように思う。

 

前回に引き続き、業務システム改善の打ち合わせ。改善の責任者Aさんの言葉が強い。あまり人に「駄目だ」とか「わかってない」とかいい続けるのは、よくない影響を及ぼすのではないか。そういった言葉に反発してがんばれる人もいるだろうが、やる気をなくす人もいるだろう。褒めることで、他者から期待されて成績がのびるピグマリオン効果もある。人がもっとも能力を発揮するのは自分からやってみようと思ったときで、周囲はいかにその状態にもっていけるか力を尽くすべきだと思う。

 

そもそも新人が駄目なのは当たり前で、だからAさんは新人より高い給料をもらっている。だが、あと5年もすれば彼らがやっていることをAさんや私が理解できなくなるかもしれない。最初からできる人もいれば、そうでない人もいる。新人については、昔の自分を見るように、年老いて理解力が衰えた人は、未来の自分を見るように接してほしい。チームは補い合っていくべきだ。そこまで求めるのは欲張りすぎなのだろうか。

 

結局、Aさんにははずれてもらい、残りのメンバーでシステム改善をやることになった。ゴリラ部長と雑談をすると「Aさんは周りと摩擦を起こしがちだから、成長してほしくてメンバーに入れたんだよな」とポツリといった。「混ぜるな危険」という洗剤みたいな人をこっちによこすなと思う。だが、ゴリラ部長の成長してほしいという気持ちもわかる。

 

仕事を通じて人間として成長してほしいというのは、父もよくいっていた。立派な考え方だと思う。私はあまり成長うんぬんについては賛成しない。成長したくない人間もいる。早く家に帰って遊びたい、給料さえもらえればいい、趣味に没頭したい、どんな考えだって許されるのではないか。成長したい人間の背中は押してやればいい。でも、ポンコツなままで許される場があってもいい。常に成長しなければならないというのも、なんだか息苦しく思えるのだ。

 

今回はたまたま私の意見が支持されたが、Aさんと私、どちらのやり方が正しいのかはわからない。自分のやり方が絶対だと思わないし、ようは目的が達成されるならどちらでもいいと思うのだ。ただ、キリキリやるより、くだらないことをいいながら結果が出せれば、それでいいように思うのだ。へらへら笑って生きていきたいのだけど、なかなか理解されない部分もある。しかし、意見の対立がある話し合いはしんどく、感情的にいきりたつ相手を丁寧に説得するのは骨が折れた。やはり独裁と銃しか正解はない。反対意見には粛清と弾圧で血の雨を降らせる。それしかない。間違いないんだ。私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい、私は正しい。

 

急に狂人になるのやめとこ。

 

 

▼カードゲーム『Marvel Snap』をやり続ける。Marvel知らなくてもまったく問題ないです。私もよくわからない。

カードゲームあるあるだが、つい使っているデッキを貼りたくなってしまうな。つよーい。

ランク74まできました。ほほほ。ランク100も見えてきましたな。面白いので皆さまも是非是非。

 

 

▼映画の感想『ただ悪より救いたまえ』を書きました。子供を救出にいくアクションものです。読み返したら、主演のファン・ジョンミンが好き、としか書いてないな。ファン・ジョンミンが好きな方は是非。そうでない方はべつにいいかも。