玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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「24時間テレビ」になくなってほしくない

▼昨日、久しぶりに運動をしたら、目覚めると背中がばきばきの筋肉痛になっていた。感心する。

 

というのも寝ている間、赤いジャージのシュワルツェネッガーみたいな整体師(なぜ整体師と思ったかはわからない)に背中をマッサージされる夢を見ていたのだ。脳が「体がこれだけの痛みならば、シュワちゃんみたいなやつに背中を押され続けていないとおかしい」と、シュワちゃんを夢に召還してくれたのではないか。脳が体の苦痛に合わせたのでは。脳さん、気をつかっていただいてありがとうございます。

 

しかし、寝ている間にも苦痛や不快は感じるということか。では、寝ている間にカレーの匂いをかがせたらカレーを食べる夢を見たり、部屋の温度を異常にあげたら真夏やサウナの夢を見たりするということか。その可能性はある。しかし、仮にそうだとしても「だから何?」という。たいして需要のない発見をしてしまったな。

 

 

▼Amazonブラックフライデーというセールがやっていた。在宅ワーク用のカメラを買った。今までなかったのが不思議だが、音声のみでも支障がなかった。付けろといわれたこともあったが「僕の顔なんて見てもしょうがないでしょう」と断り、周りも「たしかにそうだ」「見たくない」「いらないですね」と、付けないことに圧倒的支持があった。なにか悔しい。逆に付けてやった。積極的にご尊顔を見せていく。反抗期に突入。

 

ブラックフライデーのセール中、Amazonクレジットカードを作ると7000ポイントくれるという。まんまと踊らされ、申し込んでしまう。しかし、仕事を終えた私は現在無職、そして収入0円の身となった。もっとも10数年前から無職生活である。自営業、フリーランスなどといえば聞こえはいいが収入も不安定だし、要するに無職ではないか。はたしてクレジットカードの審査に通るのか。申請用サイトに「無職、収入0円」と入力。無職0円て、小学生のほうがお年玉と小遣いで安定した収入がある。私を通すならそこら辺を歩いている小学生を通したほうがよい。結果、カードは即時発行された。通すねえ。私ならそんな奴、絶対に通さないんだけどな。

 

ごくたまに労働が天から降ってくる。報酬としてドングリや松ぼっくり、稲荷寿司が供えられている。そういう生活をしてきた。今はブルボンの「まめバリ うましお味」が美味しいので、これをお供えしてくれたら嬉しい。クレカも通ったので、がんばってはたらく。

まめバリ うましお味

▼少し前、チャリティー番組「24時間テレビ」で集められた寄付金着服のニュースがやっていた。

 

「愛は地球を救う」というキャッチコピーに違和感を覚えたのはいつ頃だろう。中学生ぐらいかもしれない。「地球を救う」とはなんだろうと思った。地球が誕生したのは46億年前、人類が誕生したのはたかだか200万年前。人類は地球の表皮にとりついた新参者、冷えたペットボトルの表面の水滴ぐらいの存在にしか思えなかった。人が我が物顔で振舞おうと、地球は46億年前から存在し続けてきた。人類が滅びた後も地球はなにくわぬ顔で存在し続けるだろう。それを「救う」とはどういうことか。このお調子者、身の程知らず、スットコドッコイなどと。スットコドッコイって20年ぶりぐらいに書いた。

 

「地球を救う」といっても、それは人間のためでしかない。地球は人がいなくても存在できるが、人は地球がなければ存在できない。ということは「地球を救う」ではなく「人を救う」か「(人のために)地球を救う」なのかもしれない。多感な中学生にとってこのキャッチコピーは許し難かった。当時は「欺瞞でしかない」と怒っていた。おそらくだが、憶えたての「欺瞞」という言葉を使ってみたかっただけでは。私、そういうところある。

 

前置きが長くなった。今回の寄付金着服はかなりたいへんな事件に思えた。金額は1118万円余りと報道された。金額自体はたいした問題ではない。ただ万が一、番組がなくなれば、発生するはずだった何億という寄付金がなくなってしまう。1年ならば1億や2億で済むかもしれないが、番組が何十年も続けば何十億という金額になる。また、番組とは関係なく、困窮している人に寄付をしようとする際「どこかで抜かれているのでは」と考え、寄付をためらう人、寄付金を減らす人が出るかもしれない。寄付されるはずだったお金が、困窮している人に届きにくくなる。着服した者の頭に、その考えはよぎらなかったのだろうか。着服金額は一千万程度でも、その影響は何十倍、何百倍になっているかもしれない。寄付をするとき「着服されているかも?」という不信感は、今後何年もぬぐえないだろう。

 

私は「24時間テレビ」が好きではなくて、あまり観たことはない。マラソンしている人を「また意味なく走ってる」と冷やかし程度に観るぐらい。芸能人にギャラが発生していることを「欧米のチャリティー番組は、芸能人にギャラは発生しない」と叩いている人がいることも知っている。だけど、私は24時間テレビに賛成していた。誰もが納得する最善のやり方というのは存在しない。みな、好き嫌いがあって、それでも毎年何億という寄付金は発生していた。そりゃ、芸能人が無料で出演し、もっと寄付金が集まればいいが、その形になるまでやりませんとなれば一円も寄付は発生しない。それよりも、できる形でいくらかでも寄付金が発生したほうがいい。完全な形をまっていたら、なにも始められない。だから不完全な形でも、あれはあれでよかったのだ。芸能人にギャラが発生したってまったく問題ない。文句がある人は自分が納得のいく形で寄付すればいいのだから。

 

障碍者をがんばり屋で天使みたいに祭り上げることに反対だが、それは私の意見で、あの番組が大好きという人もいるだろうし、それでよいのだ。「24時間テレビ」が、今回の件でなくならないことを願います。私は百叩きにあい、石を抱かされても観ないけど。なぜそこまで嫌いますか。