玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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もはや昭和ではない

▼近所のスーパーからいつの間にかセルフレジが消えていた。お年寄りでセルフレジの操作が難しい方もおり、結局のところ人を配置せねばならなかったとテレビでいっていた。それもあるだろうが、万引きを防ぎにくかったのかなと思う。万引きで失われる額と人件費を計りにかけて設置されたのだろうが、その想定を上回る被害額だったのではないか。

 

セルフレジがなくなって悲しい。遠い親戚が死んだときより悲しい。ピッピピッピやるのが好きだったし、なによりシールが貼ってある値引き品を買ったとき、レジだと「20%引きです。30%引きです」などと店員さんがいう。「こいつ、値引き品ばかり買ってんな」と思われてそうで少し恥ずかしくなる。セルフレジはそんな気兼ねなしにピッピピッピできたわけだが、それも難しくなった。今後、値引き品ばかり買って店員さんに読み上げられた時、恥ずかしさで気持ち良くなるように自分を調教していきたい。それが私のセルフレジ撤去対策。

 

 

▼大谷選手が2度目のメジャーリーグ満票MVPを受賞する。メジャーリーグのMVP発表は、MVP候補になった選手たちが生中継でスタジオからのインタビューに答えるんですね。それぞれの選手の様子がちょっと面白かった。大谷はソファで犬を抱えながらインタビューを受けていた。大谷は成績から今年のアメリカンリーグMVP受賞は確実視されていた。だからなのか、SNSではMVPを獲ったことよりも一緒に映った「犬がかわいい」という話ばかりだったな。犬がMVPのような扱い。それはそれで面白い。

 

ナショナルリーグのMVPはアクーニャJr.選手が満票で受賞。こちらも受賞は確実視されていたため、アクーニャJr.の周りは家族や同僚などたくさんの人でにぎわい、パーティーの準備がされているようだった。受賞の瞬間はみんな抱き合って喜んでいた。受賞しないのはわかっていながら、生中継に参加しなければならない他の候補選手の心境はどんなものなんだろう。早く終わってくれよという感じなのだろうか。

 

MVP候補であったベッツ選手は、受賞の見込みはほとんどないと知っているためか、誰も呼んでない。撮影スタッフも来ておらず、車の中で自分のスマホを使ってスタジオと繋いでいた。しかも、奥さんにいわれてこれから子供を迎えに行くところ、といっていた。完全に普通のお父さんで、日常すぎて面白い。

 

受賞する選手はパーティーを開いて盛り上がるのが恒例のようだが、パーティーは開かず、犬と受賞を祝うのがいかにも大谷らしい。水原通訳だけはそばにいたのだろうけど、画面には映っていなかった。賞というのは過去の業績に対してもらうものだから、いくら周りが騒いでも大谷にとっては過ぎ去ったことで重要ではないのかもしれない。しかし、あの犬は大谷の飼い犬なのだろうか。受賞したとき大谷とハイタッチしてたな。私より賢いし、絶対、私よりいい物を食べている。値引きシールの貼られたドッグフードは食べていない。そんな顔をしている。犬に燃やす対抗心。

 

 

▼仕事、打ち合わせ。あるサービスのおまけで、スマホで遊べる時代劇のミニゲームを作るのだとか。そんなものでユーザーが喜ぶとは思えないが、そういう注文なので仕方ない。どんなミニゲームにするか話し合うもこれといって良い案が出ない。侍が忍者を斬っていくものとか、神経衰弱とか、パッとしない。そもそもミニゲームを面白いと思っておらず「だからなに?」という感覚だからな。

 

私は悪代官が女中の帯をとくものを提案した。悪代官が「よいではないか、よいではないか」と帯を引っ張って、女中の体がくるくる回り「ア~レ~」と声をあげるのに合わせて画面をタップするリズムゲー。太鼓の達人のような。連続でタップすると「ア~レ~、アアア~レ~」となったりして、バカバカしくて楽しいかもしれない。それいいね、などと中年同士で盛り上がっていたら、隣席のTさんから「昭和じゃないんですよ、コンプラ的に通るわけないでしょ」と叱られる。昭和じゃないんですよという叱られ方、思いのほか効く。ジジイを黙らせようと思ったら、これに限る。悔しいので泣きながらカフェオレをすすった。

 

しかしですよ、侍が忍者をばったばったと切り殺すのはOKで「ア~レ~」が駄目とは、どういうことなのか。だって殺人じゃん! 殺人はOKで性暴力はNGなのか。それが令和のコンプライアンスなのか、と食い下がったら侍が忍者を斬るのはデフォルメされてコミカルならばOKとのこと。性暴力はもはやデフォルメしてもアウトなのだとか。セクハラの延長線上に位置するということなのかな。わかるような、わからんような理屈。そういうことをいうとき、たいていわかってないですけど。よくわからんので、おでこに「殺人はOKで性暴力はNG」って、タトゥー入れとこ。

 

「ア~レ~」は時代劇で見かけたり、志村けんがバカ殿でやっていたような気もする。私が子供の頃でも、それほど多く見かけるものではなかった。今ではすっかり見かけない。文化というほど高尚ではないし、後世に残していく価値があるかといえばそんな気はしない。だからそんな夾雑物のようなものは完全になくしてしまえばいいかといえばそれもまた違うように思うのだ。こんなものがありましたよ、と伝えていくことも必要に思える。だが「伝える」「残す」ということを「肯定」と捉えられると、それはまったく違うので難しい。そもそも「ア~レ~」について、そんなにこだわりはない。じゃあ、もう好きにして。