玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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みうらじゅん

▼AI生成、富士と桜。

 

トイレの電球が切れたので買いに行く。気づけば売られていたちいかわのフィギュアを買い揃えていた。カニちゃんは、まだ出ないのか。電球は60Wと100Wを買う。60Wは暗いし、100Wは明るい。今日は当たり前のことを書く日なのか。

 

 

 

▼郷土ラブ(みうらじゅん)

 

みうらじゅんはすごい。みうらじゅんを読みだしたのは高校生ぐらいだが、一貫してくだらなく、どうしようもないことを書いている。人間どこかで「立派な人と思われたい」「なんだかんだでタメになることをいいたい」という欲があり、その欲が顔をのぞかせる瞬間がある。それは本当にみっともなく醜いものだ。だけど、みうらじゅんはねえ、本当にどうしようもないことを探究し続けていて偉いですよ。この本は、みうらじゅんが47都道府県について語っており、居酒屋で交わされる酔っぱらいの無駄話みたいなのが書かれている。内容は相変わらずどうでもいい。それは何を読んでも結局、村上春樹は村上春樹という感覚に似ている。みうらじゅんは、みうらじゅんであることに価値がある。落語で古今亭志ん朝という名人がおりますが、志ん朝は『火焔太鼓』『唐茄子屋政談』『二番煎じ』など確かにいいですが、そもそも志ん朝が話していればなんだっていい。今日の天気だってかまわないのだ。みうらじゅんはその境地にある。

 

親戚の集まりなどで、みうらじゅんはどんな立ち位置なのか。「あいつはもう本当にどうしようもない」ということになっているのか。それとも親戚の集まりなどには出ないのかな。みうらじゅんのことがとても気になる。みうらじゅんはツイッターをやっているか調べたら、公式SNSはあるが自分では発信していない。そうなんだよ。それでいいんだよ。偉いなあ、みうらじゅんは。立派ですよ。もっとも、やってたらやってたで「みうらじゅんは、自分でツイッターやってるから偉い」というだろうな。

 

で、この本なんですけど、みうらじゅんが山形県の紹介をしたときに鉄南海上人の名を挙げている。即身仏(ミイラ)があるそうなんですね。この人は、修行中にかつて仲良くしていた遊女が都から自分を訪ねてきたとき、自分の睾丸をちぎって遊女に投げつけたという。頭おかしいんかい。片タマをちぎらなければ我慢できないとしたら、ものすごい煩悩の強さだよ。あんた、坊さんに向いてないよ。

 

ネットで鉄南海上人の即身仏が祀られているという注連寺を検索すると、みごとにそのエピソードが省かれている。いや、これは一番に載せなければというエピソードでは。省いて、かっこつけてどうする。ちなみにちぎられた片タマもミイラとなって、こちらは南岳寺にあるという。タマのミイラ、ありがたがる必要ある? こんなまったく役に立たないエピソードを教えてくれるので、やっぱりみうらじゅんは偉い。

 

 

 

▼サッカー、アジアカップ日本×北朝鮮戦を少し観る。日本はもうアジアカップでベストメンバーを招集するわけではないのだな。それでも北朝鮮は負けてしまった。

 

北朝鮮が日本に勝つのは政治体制が変わらない限り難しいのかもしれない。自国だけで競技をやっていると新しい技術や戦術も入ってきにくい。まして海外に行って経験を積むこともできない。情報が統制されていて、一部の人間しか海外試合を観ることもできないのかもしれない。情報というのは、それ自体が力なのに「海外の試合を観た方がいいですよ」とすら提案できない状況だとしたら、その差は開く一方だろう。個人競技の場合、一人の天才が出れば北朝鮮が勝つことはあると思う。だが、集団競技は全員の差が開いているので勝つのは難しいのではないか。政治体制が選手を呪縛して、それは努力や根性では超えられない壁となるように思える。

 

以前、サウジアラビア人の博士と話したとき、彼は母国では科学がまったく進歩しないと嘆いていた。宇宙の始まりなど、宗教の教義とまったく異なるので、そういった論文を出すことができない。教義に反するものはタブーとされてしまう。だから研究などできないし、そういった研究がしたい学者は海外へと流出してしまう。言論の自由がないことは、進歩を妨げることになる。

 

 

 

▼映画の感想『武士の献立』を書きました。上戸彩、高良健吾主演。時代物が好きな人にはお薦めです。