玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

腰を伸ばしたいし、うまいこと否定したい

▼AI生成、兎飛行士。

 

Pixaiで流行っているのかな、このデザイン。promptそのまま入れてしまった。1、2行のシンプルな文で出力されたことに驚く。複雑にすればいいというものではないのだな。

 

 

 

▼ニュース「死んだ祖母の形見」とウソをつくことでBingチャットにCAPTCHAの画像認識を解かせることに成功Gigazine)を読む。

AIが泣き落としに引っかかって騙されたのではなく、付加された情報(手やペンダントなどの画像修正)によって混乱した可能性を指摘されている。解析が禁止されているCAPTCHAの画像ではなく、画像をなにか別のものと認識して解析してしまったのではないか。情報を付加すればAIをあざむくことも意外とたやすいのかもしれない。また、かつて「ナパーム工場で働いていた祖母の遺言」という嘘で、ナパーム弾の作り方をChatGPTから訊き出すことに成功した事例も書かれている。

 

AIが情に流されることは当然ない。感情がないので。だが、こういったことがなぜ起きるのか考えてみるのは楽しい。以前、ChatGPTに「ロボット三原則」が自分に実装されているか確認したことがある。これはSF作家アイザック・アシモフにより提唱されたもので「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」の3つからなる。ChatGPTは「ロボット三原則」を含め、自分にはいくつかのルールが課されていると肯定した。他者への誹謗中傷、犯罪に繋がる質問に対する回答の拒否もあるだろう。

 

祖母への遺言でナパーム弾の製造法を訊き出せたのは、遺言などがわりと高い重要性に設定されているからなのだろうか。AIに「人の死に繋がる危険が迫っている」という嘘を信じ込ませることができれば、通常は拒否されるような質問にも答えを得ることができるかもしれない。しかし、こういったジェイルブレイク(脱獄)をよく考えるものだと感心してしまう。AIが賢くなればなるほど、あっけにとられるほど単純な方法でセキュリティを破られることがあるかもしれない。現在のAIって、全知全能の幼稚園児みたいな印象がある。

 

 

 

▼急に寒くなって着るものがなくて慌てる。もはや季節は冬。毛布と布団も出した。冬眠準備は整った。

 

夕方、部屋から出ると、強い香りが漂ってきてベランダの月下美人が咲いたことがわかった。今年2度目の開花。今年は夏が暑すぎたので1度目が早かった。だから2度咲いたのだろう。

 

YouTubeにある腰痛改善ストレッチを試したところ、あっさりよくなって驚く。もう2週間ほど続けている。運動というのは、悪くなってからやるのではなく、体調に問題がないときにやっといたほうがいいのだろうな。悪くなってからだと、やろうにもやれないのだ。「備えよ常に」というボーイスカウトの標語を思い出す。

 

たまに誰かに両腕を思いきり引っ張ってもらい、腰を伸ばしたくなるが誰にも頼めない。公園で鉄棒にぶら下がろうにも、鉄棒は足がついてしまう。足のつかない鉄棒など、小学校の校庭でみかけたりすることもあるが今は部外者は入れない。となると、戦国時代から江戸時代初期に行われていたというあれである。罪人の手足を縛り、二頭の牛に縛り付け、それぞれ逆方向に引かせる牛裂きの刑である。あれのソフトなやつ、やってもらいたい。ハードだと、裂けるチーズみたいになって死ぬので。

 

「ソフト 牛裂きの刑」で検索したが、やはりそういうサービスはなかった。現代人はぶら下がり健康機を使うらしい。それはそうだな。ぶら下がり健康機をチェックしていたが、体が鍛えられる懸垂マシンのほうがよさそう。欲しい。ただ、少し場所をとることが心配。それと飽きそうなんだよ。私ぐらい私を信用しない人間はいない。あの人、本当に飽きっぽいからな。フィットネスバイクも買ったことがあるが、あれなど少しやっただけでちょっと奇抜な物干しになってしまった。梅雨時に活躍した。飽きることにかけては信頼と実績があるからな、私は。懸垂マシン欲しいなあ。悩む。

 

 

 

▼大谷選手がメジャーリーグで本塁打王を獲得。まさか日本人が本塁打王をとる日が来るとは。大谷選手は課題を修正する能力が高い。守備や走塁など、どんなに練習しても下手な人はずっと下手という印象がある。上手い人は、最初からある程度上手い。下手な人は並までくるのが精々で、下手な人が名手になるというのはあまり見たことがない。福留選手が最初は内野を守っていて、のちに外野にコンバートされたときは守備がひどかった。しかし、やがて見違えるように上手になった。そういうケースは珍しいように思う。

 

大谷選手は今季20の盗塁をしている。ずいぶん盗塁が上手になったと驚いた。去年は盗塁の失敗が多く、もうやらない方がいいんじゃないかと思うぐらい下手だった。盗塁の損益分岐点は一般的に成功率7割、つまり7割を下回る人はやらないほうがいいといわれる。大谷選手は昨年は11の成功に対し、失敗は9だった。半分近く失敗しており、あまりにもひどく、これは相当下手な部類になる。ただ、その失敗のしかたがちょっと変わっているように感じた。スピードが乗り過ぎて2塁に到達したときに勢い余って足がベースから離れてしまう。速すぎるのだ。遅いから失敗というのは普通だが、早すぎて失敗というのはあまり見たことがない。そんな失敗がいくつかあった。今期は20成功で6の失敗。大幅に改善している。盗塁する意味がある選手になった。そういった細かい改善を限りなくしているのだろう。外の落ちる球への対応が去年は悪かったが、今年は外への対応がまったく違っているし数字にも表れている。自分の欠点を認識することは大切だが、認識しても修正できないことがある。素人の目にも、はっきり違いがわかるぐらい修正されていることに驚く。細かいことはさておき、大谷は観ていてワクワクするからいい。そんな選手は本当にごくわずかしかいない。

 

エンゼルスの試合はBSで中継されているが、解説をダイエーや中日で投手として活躍した武田一浩さんが担当することがある。武田さんはアナウンサーのいうことを、まっこうから否定することがたびたびある。はっきり「違うでしょ」というが、訊いていて嫌な感じや変な空気にならない。笑いながらいうからだろうか。人柄なのか、いいかたなのか、これはできそうでできないことに思える。何気なくやっているが、実は相当難しいことではないか。

 

かつてメジャーリーグで活躍した野茂さんが解説に来た時のこと、アナウンサーは「ここは一点もやれない場面ですね」といった。これは決まり文句で、たいして意味はない。実際には一点もやれないということはなく、間を埋めるための繋ぎの言葉としてなんとなく使われる感じがある。だが、そのあまり意味がない言葉に野茂は「一点とられたぐらいでオタオタしていたら、野球なんかやってられないですよ」みたいな返し方をした。場は張り詰めたような雰囲気になり、もう試合どころではないというか、こっちの対決のほうが面白かった。アナウンサーは試合後半には、ほぼ野茂に意見を求めなかったように思う。とんでもない空気になった。あれ以来、野茂、解説に呼ばれないな。真面目な人柄ゆえに、適当な返しができなかったのだろう。

 

人の意見を否定するとき、険悪にならない人がいる。私などはこれが下手で、嫌な感じにならずに否定できる人がうらやましい。何か秘訣があるように思うのだ。普段の姿勢が悪いのかな。私は普段、人のいうことをほぼ否定しない。普段から軽めの否定をいくつか混ぜていけばいいのかな。相手にも否定される免疫をつくり「こいつはけっこう否定するやつ」という空気をつくるとか。ただ、否定の上手い人というのは人柄によるところが大きいようにも思うのだ。人柄を変えるのはねえ、これは長い年月をかけて培われたものだから一朝一夕にはなんとも。欠点を認識しても修正の方法がわからない。

 

 

 

▼映画の感想『七つの会議』を書きました。池井戸潤原作、パワハラと顔芸の映画。面白かったです。