玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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AIが書いたもの

▼AI生成、犬のギャング。

 

なぜこれを作ろうとしたのか思い出せないな。働く動物シリーズを作ったらどうか。黒猫の宅配業者、アリさんの引っ越し屋、ペンギンのディスカウントストア、どれもあるやつばかりが出てくるな。想像力がない。

 

 

これは「黒猫の宅配業者」を作ったのだけど、やたら黒猫の多い集荷センターになってしまった。勤めたい。

 

 

 

▼Kindleで、ChatGPTによって書かれた書籍が大量に売られているという話を聞いた。kindleは書籍の購入だけでなく、既読ページ数によって報酬が支払われる仕組みもある。だからとりあえずページをめくってもらえばということで、大量に生成された書籍が売られているのかもしれない。ChatGPTが書いたという物珍しさから、最初はクリックされるかもしれない。何冊か見たが、人間が校正したようできちんとした文章にはなっている。ただ、Kindleにありがちな中身のない自己啓発本みたいなものがある。「あなたが笑顔になれば周りもみんな笑顔になる」のような。まあ、それはそうなんだけどという。報酬はページ単位だから、今後はより短く意味のない内容が増えるだろう。中身のなさでいえば、この日記もなかなかのものだし、もうここはいっちょKindleで出せばいいのではないか。ネット上のゴミを増やすんじゃないよ、と思いました。

 

なんらかの規制が入るまでは、カルピスを薄めて薄めて限りなく水に近い何か、みたいな本が大量に出回っていくのかもしれない。AIが書いたが、それを意図的に隠している本もすでに出回っているだろう。全然関係ないことが気になったのだけど「カルピスを薄めて」という言葉は、お中元やお歳暮で家にきた濃縮カルピスを薄めた話が基になっています。あるあるとして「金持ちの家のカルピスは濃い」というものがあった。また、そうでないお宅、私の家などはうすーいカルピスを作っていた。最後のほうは容器の底に残ったわずかなカルピスに水を足し「無限カルピス!」と喜んで飲んでいた。ほぼ水である。お中元お歳暮がすたれた現代ではこの話はまったく通用しないのではないか。恐ろし。

 

少し前までは、AIが意志を持ち、人を襲うという映画が流行った。人間にとって制御不能なものが人を滅ぼすというような。だが、最近のニュースを見ているとまったくそういうことにはならないように思える。AI対人類ではなく、AIを悪用する人対人類なのではないか。AIは便利な道具でしかない。日立は実際に政策立案にAIを用いる研究をしている。仮に今後、政策立案や諮問がAIに行われるようになったとして、たとえばウクライナへの侵攻だとか、化石燃料の過剰な使用だとか、そういったことに対してAIは正しい回答を出せるように思える。だが、正しい答えがあっても、欲に負けた人間がその答えを採用できないのではないか。AIは常に正しい答えを提示しつつも、人がその答えを拒否し続けて人類が滅ぶ。というのがありそうな話。

 

 

 

▼AIが書いた本がベストセラーになるということはあるかもしれないが、あってもずいぶん先のことに思える。AIにストーリーのヒントやアイディアをもらい、それを基に人間が書いたものがベストセラーになる。それが現実的な利用法かも。将棋でAIの打ち方を参考にするのが当たり前になったように、AIのアイディアを基にして執筆するのが常識になる時代がくるかもしれない。いや、実はそんな本をもう読んでいるのかもしれない。

 

たとえばこのブログがそうである。まっとうな人間が10年以上もなんの報酬も受け取らずに日記を書き続けるだろうか。普通は飽きるし、書くことも尽きるし、面倒になってやめる。AIでなければ難しい。よほどヒマで狂った人間しかそんなことやらないではないか、などと書いて、さびしくなったのでもうよす。今日は泣きながら眠る。

 

 

 

▼映画の感想『簪/按摩と女』『犯罪都市 ROUNDUP』を書きました。『簪/按摩と女』はどちらも清水宏監督作品。のんびりした作品ですが女性の生きにくさも描かれているように思いました。『犯罪都市 ROUNDUP』はマ・ドンソクが大暴れする作品。アクション映画はこうでなければ。爽快で面白かったです。