玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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山師と羊の血

▼AI生成、猫。

 

かわいい猫を作るためにやっているが勝手に人間が入ってしまった。人が入らないためにプロンプトで「no humans」と記述するが、書いても入ってくるのでおののく。自己主張の強い飼い主。インスタにこういう人よくいる、と思いました。そういう意味でリアリティある画像。

 

 

 

▼関東大震災から百年。百年という単位が以前はあまりピンとこなかった。今もそれは変わらないのだけど、なんとなく想像できるようにも思うのだ。人は自分の生きている年数は想像できるという言葉を聞いたことがある。私も四十代後半に入った。自分の歳に2を掛ければだいたい100。そう考えると少しだけわかるような。

 

祖父母は東北の出身で、震災当時、祖父は東京に出稼ぎに来ていたという。祖父は右も左もわからない東京で震災に遭い、どうしていいか途方に暮れて祖母の暮らす福島に電報を打った。今のように情報がすぐ入るわけでもない。現地は相当混乱していただろう。祖父はおとなしく寡黙だが、祖母はしっかり者で気が強い。祖母は「ふんばってがんばれ」と返したのだとか。

 

だが、おじいちゃんは東京でなんとかふんばって働こうとはせず、祖母の返信が届く前にさっさと帰ってきたのだとか。そういう根性のなさ、共感する。だいたいね、無理ですよ。余震が怖いわ、辺りは混乱してるわ、物資も手に入らないわ、もう大変だったわけでしょ。おばあちゃんはそれからずっと「震災の後は混乱しているから商機があったはず。あのとき、ふんばっていれば一旗あげられた」と、愚痴っていたのだとか。どちらかといえばおばあちゃんの方が野心的で、一発当てたろという山師の気性がある。おじいちゃんからは羊的なものを感じる。私はおじいちゃんに似ているのかも。おじいちゃんの血を自分の中に感じる。メエメエ。

 

おばあちゃんには本当によくかわいがってもらった。田舎から4,5時間かけて、プレゼントの三輪車を電車で持ってきてくれたこともあった。大変だっただろうな。中学生の頃におばあちゃんが亡くなった。春のまだ寒い日だった。火葬場で焼いたお骨を骨壺に入れ、マイクロバスで家まで帰ってきた。私はずっとおばあちゃんのお骨を抱えていた。骨壺が温かくて、それが私を守ってくれているような気がした。ああ、自分はおばあちゃんに何もしてあげられなかったな。それどころか、亡くなってからもこうやって私を温めてくれて。おばあちゃんが死んでから泣いたことはなかったけれど、そのとき一筋だけ涙が流れたのを憶えている。もう祖父母が亡くなってから30年経つ。

 

 

 

▼祖父母で思い出したが、知人が子供を連れて実家に帰省したという。そのとき、小学生の長女は「おじいちゃんとおばあちゃん、それにパパとママのことももっと知りたい」と、おばあちゃんに両親の出会いから結婚記念日、祖父母の誕生日、家族のいろんなことをメモにとって熱心に聞いていたのだとか。知人はその様子を微笑ましく眺めていたという。

 

実のところ長女は両親も祖父母もどうでもよかった。ゲーム機に時間制限がつけられて一定時間しか遊べないよう設定されており、そのパスワードを解除するために意味のある数字4桁に目をつけたという。パスワード4桁には生年月日が使われることは多いが、両親の生年月日などはもう試したのだろう。そこで結婚記念日や祖父母の誕生日を思いついたが、両親に訊けば疑われるから祖母に狙いを定めたらしい。小学生でソーシャルハッキングとは実に見込みのある子供。パスワードには祖母の誕生日が使われていたらしく、セキュリティを突破することには成功したが、すぐに母親にバレてゲーム機を没収されたという。心温まる話を聞いた。