玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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神輿の思い出

▼この前、替えたばかりのリモコンの電池がすぐに切れてしまった。ふーむ。リモコンを裏っ返しに置いてしまったことがあって、ずっとリモコンボタンが押されたままの状態だったのではないか。それが原因ではないかと怪しむ。あやまって裏っ返しに置いても、全体に負荷が分散してボタンが押されない設計にはできないのか。それか、ある一定秒数押されていると、自動で切れるとか。携帯電話にも搭載されているが、傾きを計算するジャイロセンサーが内蔵されていて、裏っ返しのときはボタンが反応しないようにできないか。などといいだせば、そのリモコンいくらするの? という話になってくる。そもそも私がリモコンを裏返しに置かなければ無料。気をつけます。

 

 

 

▼AI生成、パフェ。

 

おいしそ。二度目の出力でちゃんとしたものが出た。基になる素材がたくさんあるものは、きれいで正確に出るんだろうな。

 

 

 

▼音楽に引き寄せられて大通りにいくと祭りがやっていた。以前、髪を切ってもらったとき、床屋のマスターがいっていたがこの辺りでは神輿の担ぎ手がおらず、近隣の市から日当を払って来てもらうという。過疎化の波がこんなところまで。商店街の祭りを維持するのは本当に大変なのだな。

 

私も子供の頃、神輿を担いだことがある。生まれついてのお祭り男、笛の音が聴こえると浮き立つ気持ちを抑えられない、神輿を担がねば夏が来ない、という人間ではなく、ボーイスカウトの活動で強制的にかりだされた。ボーイスカウトのリーダーからすれば、こういう珍しい経験もさせておいてやろうという親心だったのかもしれない。

 

担ぎ手がいないのは昔も同じだったと思う。なぜか神輿は町の薄暗い電気屋に隠れるように保管されていた。正規品の神輿ではなく、闇の儀式に使われる闇神輿ではと疑ってしまう。この電気屋は普段から開いているのか閉まっているのかわからず、カーテンが閉め切られて外からはまったく見えなかった。まさか神輿の基地だったとは。町の秘密を知ったようで興奮した。神輿はそんなに大きいものではない。六畳間に入るサイズだと思う。地面に角材が何本か置かれ、その上に神輿が置かれていた。

 

リーダーの命令のもと、神輿を担いでみたが、これが見た目に反して異常なまでに重たいのである。神輿には適正人数があるのだろうが、その人数も明らかに不足していた。ボーイスカウトは7,8人だったと思う。だがやはり大人と違って力がない。神輿のあまりの重さに肩に激痛が走った。リーダーは担ぎ手には入らず「ワッショイ、ワッショイ、声出せ~」などと気楽にいっているが、声を出すどころではない。潰されてしまうと思った。神輿の担ぎ手は同じ身長のもので編成されるのが普通だが、そんなことは当然考慮されてないから神輿は傾いてしまう。ボーイスカウトは小学六年から中学二年までのメンバーで構成される。その頃の子供の体格差はかなり大きい。私は一年目で背も小さくヒョロヒョロしていたため、重みが一気に私のところに来て神輿が傾いてしまった。命の危機を感じるほどだった。

 

それでもどうにかこうにか通りへ出て、肩に食い込む神輿の痛みに堪えながら、汗だくで必死に神輿を担いでいた。これが町内の祭りならまだいいのだが、なんの祭りでもないため通りには誰もいない。真夏の暑い中、学校までの道を苦悶の表情を浮かべた子供たちが神輿を担ぎ、よろよろと運んでいく。完全に罰である。リーダーは「おまえたち~、声出せ~」などといっているが、もはや殺意しかわかない。これは奴隷労働ではないか。古代ローマを描いた図鑑でこういうの見たことある、と思いました。

 

 

心境としてはこういう感じ。ゆでたまご先生は本当にこのゴロゴロマシ―ン大好きだな。折り返し地点の学校をぐるりと周り、出発地点の電気屋に戻っていく。通りですれ違う人が物珍しそうに見ていくが、この神輿には楽しそうで活気ある雰囲気はない。みな鬼の形相である。ボーイスカウトは上の命令が絶対で人権はない。どんなにつらくても、上から与えられた命令をこなすのみ。私達の雰囲気に気圧されたのか、声をかけてきたり、ましてや一緒に担ごうという者も現れなかった。罰なので。前世、村の守り神を焼いたりした罰なので。だからこんな苦行を強いられるのでしょう。そういう思い出が神輿にはあります。翌年からはボーイスカウトで神輿を担ぐということは一切なかった。奴隷労働とまちがえて通報した人がいたのかもしれない。

 

 

 

▼映画の感想に『カルテット』を書きました。ちょっと前に流行ったドラマらしいですが知りませんでした。とても面白かったです。クラシック奏者四人の共同生活。コメディ、ミステリー、恋愛がバランスよく混ざった珍しい作品です。理屈っぽい人が好きそう。