玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

影武者の気持ち

▼BSでやっている旅行番組を観ていると、ときどきよくわからない風習が出てくる。タイの商店街で生きた魚が売られている。食用ではない。お客はその魚を買って、近くの川に放してやる。それが功徳を積むことになるらしい。では、功徳を積むための魚を捕まえてくる人、その魚を売る人は悪徳を積んでいることになるのだろうか。徳はお金で買えるという発想は正しいのか。のほほんとした番組なので、いちいちそんなことを追及しないものの、現地の人の気持ちを聞いてみたいもの。

 

豊かな人が貧しい人にお金を直接与えるのは、もらう側の自尊心を傷つけるので、わざわざこうした形をとったのだろうか。不思議な風習。私も功徳を積める魚を売って暮らしていきたい。

 

 

 

▼ツイッターのロゴが突然「X」に変更された。今までの青い鳥のマークって、不評というわけではなく定着していたようだけど。うーむ、これは仕事でかかわりのあるツイッター関連のロゴ全部貼り替えということだろうか。イーロンちゃん、なんでそんな嫌がらせするん‥‥。

 

 

 

▼テレビで「プーチンに影武者がいるのでは?」という番組がやっていた。日本の報道機関が調査しただけであり、確たる証拠は出てないのだけど、耳の形、声紋を比較したところ、どうもいるらしいということだった。

 

影武者というと頭に浮かぶのが隆慶一郎の『影武者徳川家康』で学生の頃、夢中で読みました。懐かし。

 

 

この小説は徳川家康の影武者だからまだしも、プーチンの影武者がいたとして、どんな気持ちなのだろうと考えてしまう。影武者は何かあれば、本人の代わりに殺されることもある。当然そのために影武者になっている。だが、自分がまったく尊敬できない人物、もっとはっきりいえば嫌いな人間の影武者を演じ続けるとしたら、どういう心境なのだろうか。もちろん影武者になるくらいだから、プーチンに心酔しているとも考えられるが。

 

プーチンは2000年、47歳のとき初めて大統領に就任する。もしそのときに影武者になった人がいれば、そこから23年間、現在70歳まで影武者を務めたことになる。何もなければだけど。それに影武者は一人とは限らないが。影武者はそっくりさんをスカウトして、整形や体重の調整をして本人に似せていくのかな。影武者にはプーチンになる前、一人の男としての人生もあった。家族、親戚、友人、同僚などにどう説明したのだろう。ある日、突然事故で亡くなったことになるのだろうか。

 

それとも本人や家族の同意があって、大金をもらったうえで影武者になるのかな。たまには密かに里帰りして、家族と会い、家族から「プーチンの真似してみて」とせがまれて、モノマネ芸人のように何かやってみせるのだろうか。「絶対、本物より似てるって!」と、わけのわからない褒め方をされたりして。

 

自分を消して、他人として人生を生きていく気分というのはどういうものなのだろう。健康で美味しい食事と給与が与えられ、たまには美女を抱くこともあるのかもしれない。私が私ではなく、誰かの代わりに死ぬためだけに生きているとしたら、何不自由ない人生だったとしてそれは幸福なのだろうか。ずっと「自分はなぜ生きているのか」と自問しながら生きるのか、それともどこか割り切って一日中、遊びながら暮らすのだろうか。影武者業務を知らないけれど。

 

そもそも影武者が本当に存在するかもわからず、勝手にずずーんと暗い気持ちになってしまったな。影武者経験者の方いらっしゃいましたらコメント欄でお気持ちを知らせてください。

 

 

 

▼映画の感想『護られなかった者たちへ』を書きました。生活保護の問題に東日本大震災をからめたサスペンス。生活保護について考えるのにはいい作品だと思います。社会派真面目サスペンスです。もっとお気らく極楽に人が死んで、アホな殺人鬼とか出てほしかった。私は少し苦手でした。