玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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殉教

▼まだ5月というのにやけに蒸し暑い日だった。今年初めて作った麦茶を飲み、手羽先の揚げ焼きを食べながら久しぶりに中日戦を観る。ほほほ、美味し。今年の中日は絶不調で最下位を独走。一位ではなく最下位も独走というのだろうか。外野席が映し出されるとかなりの数のファンが入っている。毎年、この時期になると中日は最下位あたりをさまよい、ファンも見捨て始める。だが今年はまだファンの数が多い。必死に応援する姿になぜか胸が痛んだ。立浪監督が就任し、期待しているファンが多いのかもしれない。

 

成績をみると中日には勝てる要素が少ないことがわかる。守りの野球で勝つという方針ながらエラーはセリーグで一番多い。経験の少ない若手の起用がエラーの増加に繋がっている。だが、これは2、3年後を見据えてのことだから仕方ない。他にも打率の悪さに加えて、本塁打数、盗塁数が目立って少ないことがわかる。数字だけみれば好き勝手いえるだろうが、まあその、なんだ、はっきりって今年もよくて5位、悪くて6位(最下位)に思えた。ファンとしては信仰が試される場面が続く。私は早々と中日ドラゴンズから、大谷選手のいるエンゼルスへと乗り換えたのだった。宗旨替えは健康に良いので。

 

だが、大谷のいるエンゼルスも中継ぎが景気よく打たれるのだった。それと外野両翼の守備が悪い(ライトの肩はいい)のとキャッチャーも故障が多い。1軍のキャッチャーは固定したい。エンゼルス打線のレベルは高いが、大谷やトラウトがどれほど打とうとやはり野球は守りのゲーム。プレーオフ進出はよほどのことがない限り難しいように思える。

 

どうしても「勝つところをみたい」という想いが、ファンの心を荒ませてしまう。勝ち負けに一喜一憂するのがスポーツの正しい見方かもしれないが、もっと大局的な見方は存在するのだろうか。「ほほほ、今のはいいプレーでしたな」と敵味方に関わらず拍手をおくれるような。その境地に達するのは難しい。スポーツの楽しみ方がよくわからない。ここにきて悩んでいる。いいのか、この歳でこんなしょうもないことで悩んで。

 

夜中3時半に起き、三苫選手のいるブライトン×ニューカッスル戦を観た。野球が駄目ならサッカーに切り替えていく。1対4でボコボコにされた。泣く。スコア以上に内容が散々の試合だった。ファンというのは常に信仰を試される。「苦しいときこそ応援するのが本当のファンだ」とは、のび太の言葉。正しいと思うものの、その道は常にイバラの道である。なんかこう、もっと素直に楽しめんのか、と思いました。

 

 

 

▼友人A子と話す。この人は一年に一度は引っ越しをしている。短いときは3カ月ぐらいでも引っ越す。なぜそんなに居場所をかえるのだろう。特殊詐欺の指示役なのではないかと疑っている。そんなA子から心温まる話を聞いた。

 

A子の友人の母親はだいぶ認知症が進んでいる。彼女は家族が目を離したときに家を出て、戻ってこられなくなってしまう。だが、身に着けている物に名前や住所が入っていたため、親切な方が家までタクシーで送り届けてくれたという。そのとき知人がタクシー代を渡そうとしたが、断られてしまう。後日、菓子折りとお礼をもって、あらためてその方のお宅にうかがったのだとか。

 

友人の母親を送り届けてくれたのは四十代ぐらいのご夫婦で、ダンナさんのご両親も認知症の徘徊があって苦労されたとか。迷惑をかけたにもかかわらず、介護の苦労をねぎらってくれたという。友人がタクシー代とお礼を差し出すと、ダンナさんは「いやいや、困ったときはお互い様ですから」と受け取らず「そんなことおっしゃらずにどうか」という、日本人らしい押し問答を繰り返していたら、隣に座っていた奥さんが唐突に「あんた、無職なんだからかっこつけずにもらっとけ!」と言い捨て、と奥に引っ込んでしまった。ダンナさんの朗らかな顔から表情が消え「無」になったという。今までの和やかな空気は一変し、お通夜になってしまった。地獄。目の焦点が定まらないダンナさんの前にお礼を置いて、友人は逃げるようにその家を後にしたそうである。えらいとこに着地する話。

 

 

 

▼映画の感想『タリーと私の秘密の時間』を書きました。シャーリーズ・セロンが出ている映画は全部観たいが、この人の出る映画はどこか心に刺さる部分がある。嫌な刺さり方をすることも多々あり。ワンオペ育児は地獄、みたいな映画です。