玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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『CF』吉村萬壱

▼スーパーでイワシのオイルサーディンを見つけたので買う。100円だった。サバは値上がりしたがイワシは豊漁で安いらしい。オイルサーディンの缶は横長で、なんだかその形が好ましい。

 

 

玉ねぎ、エリンギ、小松菜を炒めて、ウェイパーとニンニクで味をつける。そこに茹でたパスタを和えるだけ。ほほほ、美味し。北欧の味がしますな、と喜んでいたが、缶をみたら「タイ産」と書いてあった。なるほど。

 

 

 

▼吉村萬壱の小説『CF』を読む。

 

 

ここ数年、犯人像が希薄でトリックが主体のミステリー小説が読めなくなってしまった。思えば、小学生の頃から読んでいたのでそろそろ飽きて当たり前なのかもしれない。むしろこれまで飽きなかったのがミステリー。あれやこれや趣向を凝らし、知恵を絞ってトリックを構成して殺人をするわけだが、そういうのが「なんだか面倒くさいな」と思ってしまった。完全犯罪など考えず、頭にきたらひとおもいに刺してあっさり捕まったほうが、のちのち脅えて暮らすこともない。自責の念も薄れていいように思う。そもそも人は90年も経てば、だいたい死んでしまう。そんなにシャカリキになって殺さなくてもいいでないの。などと考えたら、ミステリーからすっかり遠のいていた。

 

代わりにちょっと奇妙な話とか、変なところに着地する話を好きになっていた。吉村萬壱は、妻が家の中で巨大化していく『巨女』を読んだのが最初だったように思う。なにその設定という面白さがある。家の中で妻が巨大化したってべつにいいだろうよ、というのもあるし、そのバカバカしさと奇妙さに無性に惹きつけられる。世間が騒ぐ大事件ではないものの、個人にとっては大事件である。なにせ妻が巨大化するのだ。でも「だからどうした感」は、ぬぐえない。面白い。

 

この『CF』は、責任を無化する仕組みを作り出した企業について描かれた作品。CFという謎の技術によって誰も責任をとらない国ができあがってしまう。オリンピックやマイナンバーカードなど、世論の反対はあってもいつの間にか巨額の予算が組まれ、粛々と実行されてしまう。誰もその責任をとらない。「誰か陰で儲けている人がいるのでは?」という陰謀論のようなことも頭をよぎる。そんな漠然とした空気をうまく物語に取り込んでいる。

 

また、吉村萬壱の物語にでてくる人々に共感を覚えてしまう。溢れるような正義感とか、希望に燃えた人とかはいない。「死んでないから生きてます」みたいな人が多い。怠惰で投げやりに見えるものの、それでもかすかな責任感はあり、人への優しさもある。世間と隔絶するほど孤独ではないが、かろうじて繋がりは持っているというか。あんまり張り切ってなくて、ちょうどいい温度なのだ。読んでしまうな、吉村萬壱は。

 

 

 

▼虫ちゃんが仕事でミスをした。ミス自体は起こるもので対処すればいいだけだが、翌日、四時間の遅刻をしてきたのが面白かった。私のところにも詫びに来たが、誇張ではなく90度の角度に腰を曲げて移動してきて怖い。怪談にでてくる老婆スタイルの謝罪。前日のミスが情けなくて大酒を飲み、そのまま起きれなかったという。正直だなと感心する。私ならば寝坊した時点で「体調が悪くて」と嘘をついて、半休とるか一日休んでしまうのではないか。

 

 

女の人の服は変わった物があるが、虫ちゃんは肩のところがない服を着ていた。なんだかよくわからない。「肩のところの布、買えなかった?」と訊くと、あきれたようにため息をつかれた。ミスの後の遅刻で凹んでいる空気を薄めて励まそうという心配りではないか。「おまえの罪は消えんからな。一生反省しろ」と申し渡す。

 

 

 

▼映画の感想『最後の決闘裁判』を書きました。誰が本当のことをいっているかわからない芥川の短編『藪の中』に女性差別をあわせたような話。地味でジトジトしたお話が好きな方は是非。