玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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伯母夫婦

▼炊き込みごはんを炊く。市販のダシのようなものがないとうまくできないかと思っていたら、そうでもなかった。なければないで、なんとかなる。油揚げ、こんにゃくを刻み、椎茸がなかったので代わりにエリンギを入れた。鶏肉か帆立があれば尚よかったけど。少し物足りなかったのはそのせいかもしれない。醤油、味醂、酒、ダシなどを足してご飯と一緒に炊き上げる。2時間もすると食欲をそそるダシの匂いが香った。すこぶる簡単なのだ。お焦げはできなかった。新しい料理を作ると、それがたとえどんな簡単なものでも嬉しい気持ちになる。また少し自分のできることが増えたような。おおげさにいえば世界が広がった気持ち。とてもいいもの。こういうささやかな喜びを日々見つけることが大事なのではないか。それだけで生きていけるんだ。

 

体重は目標の63キロになった。去年の3月は71.4キロだったので8キロ減ったことになる。二人出産したと考えるとすごいことである。出産してないんだけど。じゃあ、すごくないのかも。もう少し何か感慨があるとか、つらくてたまらないところを乗り越えたとか、ドラマがあればよかったが本当に何もなく減ったな。食事制限し、運動し、減るべくして減った。それにしても、ここまで嬉しくないものか。達成したときの感情は「無」だった。「そうか」ぐらい。もうちょっと何か感じてほしかった、私の心。何か物を買って、お釣りの金額がゾロ目になったとする。あの方が100倍嬉しい。

 

 

 

ゴールデンウィークは毎年親族が集っていた。1匹いれば30匹いるのが親族などといっていたが今年は誰も来ない。というのも、伯母の具合が悪い。原因はわからないが尿と便の出が悪くなり、やがて尿も便も出なくなった。病院で薬を処方してもらい、ようやく排泄できるようになったが今度は便が柔らかくて大変らしく、オムツをつけて暮らしている。いつトイレに行きたくなるかわからないので外出もできない。80歳を超えた伯父が介護と家事をやっている。伯母は外出もできないので家にずっとおり、認知症も発症してしまった。

 

伯母夫婦はある宗教に傾倒し、そのせいで娘とも疎遠になってしまった。本来、信者以外とは付き合ってはいけない人たちだが、なぜか伯母夫婦は私の家には来ていた。今考えると、娘との関係が断絶した代わりに、同じような歳の私を信者にしたかったのかもしれない。私は神も聖書も信じることがないので、私が入信することはないのだけど。

 

神がいるかいないかといえば、いるかもしれないと思う。もっと正確には「いたのではないか」と思う。無から有が生じるとは思えない。だとすると今ここに存在している自分の説明がつかないことになる。世界の始まりは、私たちが想像するような人格をもった神ではなくても、超自然的な何かが最初の種を播いたのかもしれないとは思う。それを神と呼ぶなら、神はいたのかもしれない。ただ、その神の姿は私の想像の及ぶものではないだろうし、神も現在の世界のありようを予見していたわけではないだろう。神が世界に干渉したのは、世界が誕生したときが最初で最後だったのではないか。

 

信仰をもつ人は神がいるかどうかを気にする。それがよくわからない。いてもいなくても関係ないのではないかと思う。私たちは過去をみて未来を予想する。去年の売り上げをみて今年の仕入れをするし、競走馬のタイムをみて馬券を買い、大谷の成績をみて今年はホームラン王がとれるかなどと予想する。百歩譲って、仮に聖書の内容が正しかったとしても、神は約2000年近く奇跡を起こしていない。2000年売り上げが立ってなければ、今年も立たないのではと思うのだけど。神がいたとして、何も起こらなければいないと同じではないか。ここまで神の不在が長ければ、いない前提で行動するのが合理的に思える。だが、なぜか信仰を持つ人たちは、いる前提で行動している。東日本大震災が起きても、コロナが流行っても、ロシアがウクライナに攻め込んでも何もしないのだから、今後も何もしないだろう。

 

伯母は病床で祈りを捧げているのだろうかと考えることがある。伯父は伯母の介護をしつつ、奇跡が起きることを待ち望んでいるのだろうか。そうであるなら、神がいてほしいと思う。私は伯母夫婦の信仰している宗教をインチキだと思っている。そもそもすべての宗教をインチキだと思っているけれど。だが、信じることで死の恐怖や魂の孤独から救われてきた人も多くいるはず。たとえそれがインチキだとしても。伯母夫婦はもう引き返せないのだろう。若い頃から何十年も信仰に身を捧げ、娘との関係は破綻して彼女は家を出ていった。信者以外との関係は断っているし、神の教えに背く娯楽なども制限され、その教えに従って生活してきた。あまりに投じたコストが大きい。今更信仰をすてると「今までの暮らしはなんだったの?」となってしまう。私には、株で損をした人が損切りできず、紙きれ同然の値段になってもいつか上がると信じて株を持ち続けているようにしか思えない。

 

考えがまとまらず、思い浮かぶままにとりとめのないことを書いてしまった。伯母夫婦がずっと不幸だったかのように書いてしまったが、そんなことは本人たちにしかわからない。私の知らないところで充実した人生を送っていたのかもしれない。せめて今は伯母夫婦が安らかな気持ちで過ごせればいいなと願っている。何十年も信仰を捧げてきたのだから、それぐらいの見返りはあっていいはずではないか。神がいてもいなくても。

 

 

 

▼映画の感想『パーフェクト・ケア』を書きました。『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイク主演のサスペンス。面白かったがなかなかにイライラさせられる作品。悪女をやらせたらピカイチですね。キーッ! ってなる。