玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ドッキリ

▼キックボクシングからボクシングに転向した那須川天心選手がデビュー戦で勝利を収めた。ステップがボクサーとは違って独特なものがあった。YouTubeかテレビか忘れてしまったが、那須川選手が「ドッキリが苦手」といったことが印象に残っている。自分が掛けられて嫌ということではなくて、たとえドッキリでも誰かが傷ついているのを観るのがつらいといっていた。すごくよくわかる。人が理不尽に怒られたり、傷ついたりしている姿を見るのは私も苦手だ。

 

ドッキリでベテランの芸能人から、若手芸人などが理不尽にキレられるというのはよくある。怒られて委縮している人を見るのが嫌で「実はドッキリでした」と明かして丸く収まる(ことになっている)が、本当にそうなのだろうかと思う。理不尽に怒られたことは事実であり、それで傷ついたとしたらそれもまた事実である。ドッキリと明かされたときに残る不信感もまた事実。ドッキリといえば許されると思っている人なのだなと思ってしまう。だからドッキリといわれたときのリアクションは「ふーん」が正しい気がする。そのリアクションだと誰も観ないだろうよ。私、べつにドッキリが嫌いでもないのだけど。

 

ドッキリで思い出した。これ、以前に書いたことある話ですけども。私が小学校4年ぐらいのときのこと。当時、団地の5階に住んでおり、その日は私の家で友人Tと遊んでいた。友人Tがトイレに行ったとき、私はなんでそんなことをしたのかわからないのだけど窓の柵を乗り越えて、下の階(4階)のひさしの上に立った。もちろん落ちれば死んでしまう。部屋の中からは私の足元が見えず、上半身の力だけで柵につかまっているように見える。今にも落ちそうだと思っただろう。トイレから戻ってきたTに「たすけて~」といったら、彼は慌ててかけよってくるかと思ったら、ものすごい速さで家を出て逃げ出した。私は予想外のTの動きに、呆気にとられていた。踊り場の階段から窓が見えるが、そこから私がひさしに乗ってふざけていたということがわかると、Tはきまり悪そうに戻ってきた。きっと落ちたら親に怒られるとか、引き上げる自信がないとか、一瞬でいろんなことが頭をよぎったのだろう。

 

Tも私もきまり悪そうに照れ笑いしたのを憶えている。だが、私の心の内には「Tは何かあったら見捨てて逃げるやつ」とインプットされてしまった。悲しいがそれは今も変わらない。あれから30年以上経つ。Tとの関係はまだ続いており、年に一度ぐらい学生時代の友人と集まるときに顔を合わせる。Tとは大学ぐらいまでそれなりに親しかったが、あの一件を振り返ったことはない。お互いに、冗談でもあれには触れてはいけないという、変な約束事のようなものが心の中にあるのだ。あれ以来、Tとはどこかギクシャクし、そのわだかまりは心の奥底に淀みつづけ、ふとしたおりに顔を出すのだ。まだ、わだかまってます! だからねえ、人を試すようなドッキリはいけませんよ。全部、私が悪いのだけど。

 

 

▼映画の感想『クーリエ:最高機密の運び屋』を書きました。冷戦時代、イギリスとアメリカのスパイになったイギリスの営業マン。モスクワの軍人と接触するうち二人に友情が芽生えていく。国は違えど国民同士に友情は芽生える。地味ながらとてもいい作品でした。ベネディクト・カンヴァーバッチが出ています。