玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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好きすぎて

▼あっという間に年度末。なんもしてない間に3月が終わる。マズイマズイマズイ。光陰矢の如し怒濤の四十代。恐ろしい速さで時間が過ぎる。

 

何度か書いているが、結局のところ体力なのではないかと思う。すぐに休みたくなる。毎日走る村上春樹、毎日泳ぐ荒木飛呂彦吉永小百合と、偉大な人の名前ばかり挙げてしまい、そんな人たちと比べるのもおこがましいが、何かを継続しておこなうには体力がいる。私は、最近はすぐに眠くなって寝てしまう。午後はだいたい赤ちゃんになる。スヤスヤ。

 

さぼらずに腹筋ローラーなどを行わねばならない。本当は有酸素運動がいいのだろう。とにかく運動である。そういえば去年から記録をつけて体重を管理していたが、運動のおかげもあって71.4キロあった体重が63キロ台になった。8キロぐらい減った。検索してみると、8キロといえば2歳女児の平均体重だとか。出産したと言い張ってよいのでは。2歳女児の親になった春。

 

 

 

▼一緒に仕事をすることになった新キャラのS君。とても謙虚な人で丁寧すぎるぐらい。自分の倍ほどの年齢である私の背中を「元気ぃ~?」と叩いてくる虫ちゃんと同い年という。若い人もいろいろだな。二人が合体して分裂すれば、ちょうどよくなる気もする。

 

S君は好きな歌手がいるのだけど、街中でその人を見つけ、勇気を出して声をかけたところ「いつも聴いてくれてありがとう」と爽やかにいわれ、感激のあまり倒れそうになったという。S君は自分のような人間に聴かれていると、その歌手のイメージが悪くなるのではないかと勝手に思いこみ「いや、まったく、聴いてないです!」と笑顔で返し、歌手の手を思いきり握りしめたのだとか。相手の人、不気味だっただろうな。満面の笑みでファンであることを否定してくる人、怖すぎる。

 

S君の気持ちはわかる。自分のような人間がファンでは申し訳ないという。好きすぎて舞い上がってしまったのだろう。私が新横浜駅で岩瀬、山本昌など、中日ドラゴンズの投手陣を見かけたとき、あまりに好きすぎて声をかけられなかったことがある。2回、目の前を往復して「ああ‥‥(彼らの)視界に入ってしまった‥‥」と密かに興奮した。S君と同じ病気の予感がある。生きるのが下手で人間に向いてない。「元気ぃ~?」といいながら背中を叩ける人間になりたかった。

 

 

 

▼NHK-BS「暴力の人類史 悪魔の誘惑と戦う」を観る。有名な「ミルグラムの電気ショック実験」がとりあげられていた。「体罰と学習効果の測定」という名目で集められた被験者たちは、隣室にいる生徒役の回答が間違うたびにボタンを押し、より強い電気ショックを与えなければならない。もちろん生徒役は電気を流される演技(うめき声や絶叫)をしているだけで、実際には電気は流れていない。だが、ボタンを押す役の被験者たちは当然そのことを知らない。しだいに強くなる生徒役の悲鳴に、ボタンを押すのをためらいながらも「これは意義のある実験だ」と、実験の指導者からいわれると最後にはボタンを押してしまう。最終的に65%の参加者が命の危険がある450ボルトのボタンを押してしまったというもの。

 

この実験は、戦争で人間がもたらす残虐さの説明にしばしば使われる。個人個人は悪い人間ではないが、そうせざるを得ない状況に追い込まれると人はどんな残酷なこともしてしまう。きっとそうなのだろう。第二次大戦中、外務省の命令に背いてユダヤ人を逃がすビザを発給し続けた杉原千畝、ドイツ人でありながらユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラーなど、自分の身を顧みない英雄的な人もいる。だが、普通の人がそんなふうに振舞うのはやはり難しい。権力に逆らえないのは凡人としてはごく当たり前のことなのだ。今は、ロシア人の多くをひどい人間のように思う人もいるかもしれないが、本当はそんなことはない。自分や家族の身に危険が及ぶ可能性があれば、そう振舞わざるを得ないのだろう。

 

ひとりひとりは弱くて愚かだからこそ、そうならない仕組みを整えねばならない。教育、法律、常識、慣習、マニュアルなど仕組みの形はさまざま。戦争という大規模なものだけではなく、身近なところではいじめやハラスメントも仕組みで防げることがあるかもしれない。無理に英雄のように振舞おうとするより、弱さを自覚して、そういったことが起こらないように仕組みを整備することが凡人にできる大切なことのだろう。人間が戦争そのものを違法とする仕組みを整えられるのはどれぐらい先なのか。