玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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栗山監督の采配

太宰治の『眉山』を読んだら、インテリの嫌なところがこれでもかと書いてあってげんなりする。『眉山』は私小説で、太宰自身も小説に登場する。太宰のいいところは、その俗悪で最低なインテリである自分自身を、作者である自分が逃さずに描いているところだろう。自分と向き合っているが、これほど向き合うがゆえにやがて自殺するほど自分を追いこんでしまったのだろうか。それはかなり短絡的であり強引な結び付け方かもしれない。しかしねえ、嫌だねえ、太宰は。読んでいてうんざりするんだもの。それでもたまに無性に読みたくなる。読書の自傷癖みたいなのものだと思う。

 

 

 

▼知人のO氏が再婚するという。別れた元奥さんとの関係は良好らしく、元奥さんから「変な女に引っかかってないか見てやるから、再婚するときにはその人を連れてワシのところに挨拶に来い」といわれているのだとか。ワシて。一人称がワシの女て。元奥さんではなく、昭和生まれのジジイなのでは。O氏は週末、交際相手を連れてワシのところに挨拶にいくのだとか。人と人との関係に決まりはないのだけど、本当に奇妙な関係を築くものだと感心してしまう。私もワシに会ってみたいな。「ガッハッハッ!」て豪快に笑って、鼻毛を引き抜いて吹き飛ばしそうなイメージがある。

 

 

 

▼野球を観ない人にとってはなんのことやらという話を書いています。

 

今回のWBCは本当に面白い大会だった。やはり点をとれる野球というのは面白い。中日ファンとして鍛え上げられ、味方チームが点をとらないことが当たり前という状態に調教されていた私には、WBCは新鮮な驚きだった。もう怖くて中日の試合を観られない。今から震えている。

 

特に準決勝のメキシコ戦はすばらしく、今後20年ぐらい語り継がれるのではないか。準決勝、決勝ともすばらしかったが栗山監督の采配に不思議なものを感じた。準決勝メキシコ戦、1点リードされて迎えた9回裏ノーアウト1、2塁の状況、ここで栗山監督は絶不調だった村上選手をそのまま打席に送る。村上選手はセンターオーバーの2塁打を打ち、2塁にいた大谷選手、1塁の周東選手がホームインしてサヨナラ勝ちになった。

 

村上選手にバントをさせて1アウト2塁3塁という状況をつくって好調の岡本選手に託すという選択もあったし、また普段はバントをしない村上選手に代打を送ってバントさせる手もあったはずだ。この日の村上選手の打席内容は悪かった。アウトになるにもいろいろあるが、甘いコースを見逃し三振というひどいものもあった。村上選手の走力を考えると最悪のダブルプレーもありうる。それでもあえて打たせている。

 

もう一つ気になったのが決勝のアメリカ戦、9回裏1点リードで大谷投手の登板。エンゼルスの同僚であり、メジャー最高の選手であるマイク・トラウトとの対決という漫画のような展開だった。大谷が打ち、大谷が投げて勝つというファンにとっては最高の場面だった。大谷がスライダーでトラウトを三振にとり、決勝戦を日本の勝利でしめくくった。

 

大谷投手の普段の登板は先発で、抑えをやることはない。それと大谷投手が先発したとき、初回の投球が定まらないことが多く、失点の多くは初回に集中する。立ち上がりが悪いタイプなのだ。こういう人は抑えに向かない。この試合、日本はまだ他にも投手を残しており、勝つためには大谷が投げない方がいいように感じた。

 

じゃあ、この二つの試合がつまらなかったかというとまったくそんなことはない。両試合とも10年に1度しか観られないレベルのすばらしい試合だった。これほど気持ちが昂ぶったのも珍しい。定石どおりの采配であればこの展開にならなかっただろう。野球は投手がしっかりしていれば点をとられないし、確率をあげていくのがもっとも勝ちに繋がるスポーツである。栗山監督の二つの采配は勝ちの確率をあげるものには思えなかった。だが、この采配でなければ球史に残るようなゲームにはならなかった。大谷とトラウトの夢の対決は、私がもっとも観たい対決だった。

 

栗山監督の記者会見、インタビューもひととおり見た。村上選手への信頼を口にしていた。ひょっとして栗山監督は勝利よりも大切なものがあるのかもしれない。生きていて嬉しいことの一つに、人から信頼された記憶がある。人から信頼され、その気持ちに応えたくて、なんとかしたいという感情が生まれてくる。村上選手は見事に期待に応えた。村上選手をあの場面で代えるか、バントを指示すれば、村上選手はこの日のことを生涯後悔し続けたかもしれない。それぐらいの打席だった。仮にあそこで打てなかったとしても、その信頼に応えるために必死で練習して「あのとき打てなかったから今の自分がいる」という日だって訪れたかもしれない。監督なのだから勝ちにこだわるべきといわれれば、それはそうなのだけど、もしかして栗山監督は試合の勝利だけでなく、その先にあるもっと大きなものを見ていたのではないか。信頼された記憶は大きな財産になる。投手としての大谷選手の起用についてもあれほど興奮するものはなかった。あれを観て野球選手を志す子供もいるかもしれない。あんなにワクワクする場面はそうはない。栗山監督はひょっとして、ワクワクする方向に采配をしてしまう人なのか。「こうなったら面白いよね」という。そもそも大谷の二刀流を積極的に応援したのが栗山監督だった。普通の人ならとめている。

 

勝利への最短距離という采配だったかは私にはわからない。だが、あの采配だからこそ生まれた物語がある。また、あそこで村上選手がサヨナラ二塁打を放ち、翌日決勝のアメリカ戦でホームランを打つ。おそらく前日に二塁打を打っていなければ、翌日のホームランも打ててないのだ。何が正しいのか簡単にはいえないし、どう考えていいか難しい采配だった。ただ、最高の試合をみせてくれた選手たちとスタッフに感謝したい。選手たちが子供のようにはしゃいでる姿も良かったし、野球って本当に面白いなあと久々に思いました。大谷はこの大会でずいぶん感情を出していた。冷静な選手だと思っていたけれど実は違うのかもしれない。元から熱いものを持っているけど、エンゼルスではそれを出すような展開にならなかったのでは。エンゼルスのプレイオフで大谷、トラウトが躍動する姿をみたい。そこでヌートバーと戦ったりすれば、また面白くなる。物語は続く。

 

 

 

▼映画の感想『ノマドランド』を書きました。車で移動しながら暮らす路上生活者の人生。なかなか重苦しい物語ですが見応えがありました。