玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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WBC日本×メキシコ戦

▼日記を1週間以上ほったらかしてしまった。特に書くこともない花粉症の3月である。

 

買い物に出ると集合住宅のテラスに鉢割れの地域猫がいた。鉢の部分が黒、地が白の人懐っこい猫。この鉢割れは、こちらをみると「にゃあ」と一声挨拶してくることがある。そうやって餌をもらえたことがあるのだろう。私も声をかけられると返事をし、撫でることもある。今回も挨拶をされた。

 

「やあ」と挨拶を返したとき、鉢割れの奥に茶トラの猫がいることに気づいた。その茶トラは、鉢割れと私のやりとりをじっと見ていた。鉢割れは振り返ると、茶トラがいることを確認したようだった。いつもなら挨拶をした後、すり寄ってくる鉢割れだが、なんだか迷っているようだった。人間に媚びているようなところを同僚に見られて、ちょっと気恥しいのだろうか。なんとなくわかるような、わからんような感情。鉢割れは茶トラと私を交互に見て、茶トラの方に寄って行った。茶トラは茂みの奥に消えてしまい、やがて鉢割れも茂みに入って行った。鉢割れは茂みの手前で、チラリとこちらを振り返った。

 

「今回はなんだかごめん」そう謝られている気がした。私は「いいんだ。おまえは猫なんだから気にすることはない」と深くうなずいてみせた。鉢割れと通じ合えた気がする。すべて私の妄想ですけど。はたから見ると、変な猫おじさんでしかない。

 

 

 

WBC準決勝日本×メキシコ戦、10年に1度あるかないかの名試合だった。たまにこういう試合があるからたまらない。予選でずっと調子が悪く、いいところで打てなかった村上選手。この試合でも再三チャンスで打席がまわりながらも結果が出せず、9回裏最後の打席でサヨナラツーベースを打つという漫画のような展開だった。9回裏1点差を追いかけ、大谷が初球を打ち、セカンドベース上でチームを鼓舞するように両手を何度も振り上げたのが印象的だった。あそこまで感情を露わにする大谷を観たのは初めてだった。次のバッターの吉田は予選から打ちまくり、この試合でも同点3ランを放っている。その吉田が四球で歩かされ、絶不調の村上にまわってくる。吉田が四球で一塁に歩く時、村上を指さす。「おまえが決めるんだ」といったのだと思う。あの仕草にはしびれた。そして村上がセンターの頭を超える痛烈な二塁打で試合を決めた。

 

2009年WBC決勝、韓国戦での延長10回イチローの決勝タイムリーを思い出した人も多かっただろう。苦しみ抜いた人が最後に結果を出す。そんな都合よくいくことなど滅多にない。それでもごくまれに奇蹟的ともいうべき、野球の神様がプレゼントしてくれたような試合があるから面白い。日本はよく戦ったけど、この試合はメキシコも良かった。すばらしい試合はすばらしい対戦相手なくして作れない。大谷の同僚で、メキシコ先発のサンドバルもよかったし、レフトを守ったアロザレーナのホームランキャッチもすごかった。ファインプレーをしながら、仁王立ちして無表情で腕組みをするから、球をとったかどうかわからずに困惑した。面白い人。選手たちがみんな楽しそうでいい。はー、楽しかった! 明日のアメリカ戦、大谷とトラウトの対決が観られるのかな。ワクワクする。友人Nは「明日、アメリカに第二次大戦の借りを返す」と意気込んでいて、完全にヤバイ人だったな。

 

 

 

▼メキシコ戦で思い出したが、タイガーマスクである佐山サトルがメキシコにプロレス修行に行ったときのこと。二人組の男にからまれた佐山は腕力で二人をねじ伏せる。一人はナイフを出し、もう一人も拳銃を出したが、佐山も拳銃を買っていたため、銃を出すと二人は逃げ出したという。しばらく行くと、先ほどの二人と十数人の仲間が見え、その中にはショットガンを持っている者もいる。慌てた佐山は警察に駆け込み、助けを求める。警察と現場に戻り、警官は佐山を脅したのは誰かと訊ねた。佐山が脅した者を教えると、警官は犯人を駐車場に連れて行く。警察まで連行するのかと思いきや、警官は拳銃の柄で犯人たちをボコボコに殴り始めたという。滅茶苦茶である。犯人は血だらけになり泣き出した。佐山は、警察がこんなに滅茶苦茶なら、後で金でも要求されるんじゃないかと思い、怖くなってその場を逃げ出したという。メキシコというと、そんな心温まる話を思い出しますね。ときどき、私は思い出さなくてもいいことを思い出す。

 

 

 

▼AIは対話型のChatGPTもだが、イラストを出力するソフトも進化がすさまじい。人間と見分けがつかない美男美女が当たり前のように出力できる。AIイラストは指の本数が増減したり、不自然なかたちになるのが欠陥のひとつだけど、それもcontrol netのopen poseという技術で克服されつつある。もうしばらくしたら、まったく問題にならなくなるのではないか。あまりにきれいな人を出力していると、みょうな万能感がわいてきてしまう。自分は何もやっておらず、ソフトを作った人や、生成に使うmodelデータを作った人、またそのmodelの基になった人が偉いのに、自分の功績のような気がしてしまう。私は何もしてないのだ。

 

おまえはただのゴミクズ、まるで価値のない出来損ない、日本の産業廃棄物、そう口にしながらAIイラストを出力する日々。もうやめた方がいいのでは。