玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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武藤選手の引退、AI絵

▼英語サービス『Duolingo』を使い続けている。たまに、正解なのに不安になる翻訳問題が出る。

 

 

おばあちゃん、かわいそうじゃんか。正解したがしっくりこない文章。なぜ、おばあさんのプレゼントを返品するのだ。英語以外のところでつまずく日々。

 

 

 

▼寒さがやわらいできたと思ったら、蚊が出たり、花粉症がでたり。冬が終わろうとしている。野球はWBCがもうすぐ始まる。プロレスは武藤敬司選手の引退試合があった。一つの時代が終わった心持ちがする。

 

もっとも熱心にプロレスを観ていたのは中学、高校の頃で、そのとき活躍していたのが武藤選手だった。華やかなイメージと違って、使う技の種類はあまり多くない。ただ、一つ一つの動きに個性があるレスラーだった。動きだけで武藤選手とわかる。ドラゴンスクリューからの足四の字固めというフィニッシュムーブは、多くのプロレスラーがこぞって真似をした。同業から憧れられて真似をされる選手だった。

 

引退試合は内藤哲也選手が相手だった。若くして亡くなった橋本選手の袈裟切りチョップからのDDT、蝶野選手のSTF、三沢社長のエメラルドフロージョンなど、ライバルたちの必殺技を次々に繰り出す心憎い試合内容だった。試合後には、ケガの影響から杖をつくようになった蝶野選手をリングに招き入れて戦うなど、最後までファンを楽しませる内容だった。体調が悪い蝶野選手の引退試合をサプライズでやってやろうという想いと、最後の相手はやはり新弟子時代を共にした蝶野選手しかいないと考えたのかもしれない。

 

武藤選手の現役生活は39年だったそうで、長い長い物語を観続けてこられたのを嬉しく思います。ドラマなら3か月で終わるが、とんでもない長さ。この一試合だけを観ても、ファンでない人にとってはなんのことかよくわからないと思う。出す技は武藤選手が戦ってきたライバルたちの思い出にも繋がっている、ムーンサルトプレスを出せなくて悔しがるのはケガをする前の得意技だったからで、それぞれに意味がある。物語は点ではなく線であり、過去は今に繋がっている。歴史を楽しむということを教えてくれたのはプロレスだった。

 

プロレスはシリーズを通して、ときに善悪が入れ替わり、所属する勢力も変わり、抗争を繰り返していく。選手たちの抗争はどこまでが本気でどこまでが台本かわからない危うさがあり、会社批判やケンカを演じているのかと思ったら、たまに本当に違う団体に電撃移籍して驚かされることもある。よくわからないこじれた人間関係もひっくるめて楽しむのがプロレスだと思う。そういった曖昧さ、胡散臭さの楽しみ方を教えてくれたのもプロレスだった。武藤選手お疲れさまでした。ありがとうございました。

 

 

 

▼AIが描く絵がすごいと聞いてソフトを入れてみた。すごいといっても、またどうせたいしたことないんだろうと高をくくっていた。以前のAIの絵は、命令しても指定はおおまかにしかできず、出てくる絵も何十枚も出力してようやくそれっぽいのが一枚ピロッとでるような感じだった。それがもうprompt(よくいわれる呪文)を指定すると、かなりのものができる。

 

(クリックすると大きい画像が出ます)

 

いろいろいじって、美男美女が作れるようになった。人間と見分けがつかないレベルも作れる。これは私の腕が良いのではなく、人を生成するmodelデータというものが優秀だからです。本当に誰にでも作れます。美人を作って脱がせまくる人の気持ちもわかった。だが、あまりにきれいな人を作ってしまうと、もう親のような心持ちで眺めてしまう。変な男に捕まらず、まともな人を見つけてどうか幸せになってほしい。贅沢などしなくていいから、小さな幸せのともし火を大切に分かち合うような家庭を築いてほしい。などと。AIなのに。

 

新しい病気になりました。

 

 

 

▼映画の感想『ダゲール街の人々』を書きました。パリの下町で暮らす人々のドキュメンタリー。普通の人の普通の人生。落ち着きます。