玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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久しぶりに手紙を書く

▼寒さは緩んできたものの、依然まだ寒い。老人ホームにいる伯母にあてて手紙を書いてくれと親戚から頼まれるが、書くことがなくて困る。伯母はだいぶボケているそうで何を書いたものか。伯母には子供の頃、お世話になった。小学生の頃、田舎に帰るたび「お父さんやお母さんにいわなくていいから。好きに使いなさい」とお小遣いをくれた。

 

「本を買うね」と殊勝な顔でお礼をいったが、伯母からもらった小遣いの多くはファミコンのカセットに、本は「ファミコンの攻略本」に化けた。伯母は大きな病院で働いており、無職になった伯父にかわって家を支えていた。娘たちを大学に行かせたのも伯母の稼ぎだった。開けっぴろげで、とにかく豪快な人だった印象がある。

 

そこへいくと、伯父は私が田舎に帰るたび「まあ一杯飲もう」と、こちらが断っても強引に酒を勧めてきたのを思い出す。家族にも医者にも酒をとめられており、「せっかく甥が来たんだから」と人を利用して酒を飲もうという魂胆がみえみえの人だった。なぜ急に伯父の悪口を書きましたか。

 

伯母にはずいぶん世話になったのだ。手紙など本当なら毎月書くべきだろう。なにせファミカセの御恩がある。ファミカセって言葉、30年ぶりぐらいに使った。手紙の内容は迷ったが、祖父母の夫婦喧嘩が面白かったことを書いた。

 

 

 

▼手紙を書いているうちにボールペンのインクが切れた。今まで100円ボールペンは書けなくなると捨てていたが、替え芯があるのではないかと検索してみる。あるのだな。当たり前だけど。ずいぶんと物を粗末にしていた。ボールペンを分解して、芯の型番を見ようとするが字が細かくて見えない。老眼である。ヨヨヨ。老いの悲しさよ。目が悪くなってわかったが、世の中というのは若い人向けにデザインされている。替え芯の 型番わからず 嘆く冬。思わず一句ひねりたくなる。ジジイなので。ともあれ注文した。

 

しかし、ヨドバシ・ドット・コムは替え芯1本51円から、送料無料で配達してくれるので驚く。申し訳ない。せめてもと思い5本買ったがそれでも255円。次、何か高い物をヨドバシで買いたい。みなさんも愛人に贈るカバンなどは是非ヨドバシで。

 

四十代になると仕事関連の食事会で、上の世代の卓の末席にいることもある。二十代、三十代の卓のほうが気楽でそちらに加わりたいのだけど「おい、おまえはこっちだろ」などと呼ばれてしまう。そこではもっぱら健康のことが語られ、やれ老眼だ、トイレが近い、夜中何度も目が覚めて眠れない、昼に眠い、肩こりがひどい、腰が痛いなどの話を聞く。四十代になりたての頃は、そんなものなのかなと思っていたものの、今はもう全部わかる。なんなら中心で話している。「いい薬がある」と訊くと、積極的に「どこのですか?」と訊いてしまう。もう六十代以上の卓で全然かまわないです。あ、この皿、あっちのテーブルに持ってって。もう、こっちはそんな脂っこいの食べられないから。そうそうそう、みんなで食べて。こっちは中性脂肪気になる組ですので。

 

私もついに朝方、何度も目が覚めるようになってしまった。午前3時から、だいたい3回は覚めている。よく「老人は早起き」というが、あれは早起きではなく、目が覚めるし、そこから眠れないし、せっかくだから起きるかという消去法の「早起き」なのではないか。

 

 

 

▼岸田首相が、同性婚の法制化で「社会が変わってしまう」と発言したニュースを読む。

 

社会が変わるという言葉に不思議な気がした。誰が誰を好きになろうと勝手な話で、同性愛者についても「ああ、そうなの」というだけで、そもそも国に認めてもらうのもおかしなことに思える。性的嗜好について、国が「こうあるべき」と示すことに違和感を覚える。岸田首相が発言した「社会」の中に、LGBTQの人は含まれないのだろうか。少数派であっても社会の一部である。

 

個人と社会の捉え方に違いがあるように感じる。私は個人が社会の犠牲になってはならないと思っていたが、社会を支えるために個人がいると考える人もいるかもしれない。昔でいうと、家のために親が決めた相手と結婚するとか、戦争に行くというのもそうだろう。首相は、出生率が下がればGDPが低下し、ひいてはそれが国益を損なうことになるという観点で発言したのかもしれない。だが、少数の不幸のうえに多数の幸せを成り立たせてはいけないように思う。それならば仮に皆が少しずつ貧しくなっても仕方ないと思うのだけど。そもそも、何かを好きな人に「それを好きになるな」というのは無茶な話だ。好き嫌いというのは、自分でも制御できないものではないのかな。それで社会が変わるというのなら、変わってもいいのではないか。

 

 

 

▼映画の感想『アナ・デ・アルマス セックスとパーティーと嘘』『怪物團/フリークス』を書きました。『アナ・デ・アルマス~』は本当に久しぶりに中身がないスッカラカンの映画でいっそ清々しい。ドラッグ! セックス! ドラッグ! ドラッグ! セックス! みたいな映画。

 

『怪物團』はサーカスの話。公開された1932年に、障碍者を集めて映画を撮ろうとしたのはすごい試みかもしれません。