玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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縄文人ではない

▼ブラックフライデーのセールでデーツや米を買った。そういえば近所の八百屋もブラックフライデーののぼりを出していた。とってつけた感がすごい。ブラックフライデーにより大根が78円だったので二本買う。

 

デーツはここ何年か、小腹が空いたときに1日2粒ずつ食べている。ビタミンAが豊富で疲れ目にいいというが、効いているかどうかはわからない。甘くて美味しいのでひたすら食べる。ねっとりしており、干し柿や羊羹を思わせる味。イランのサイヤーデーツが好きです。

 

 

▼打ち合わせの帰り、隣席のTさんと電車に乗る。私たちの前には二十歳ぐらいの男性二人、女性二人のグループが座っていた。男性二人、女性二人はそれぞれ知り合いのようだが、男女が会うのは初めてらしく会話がぎこちなかった。ダブルデートなのか、飲み会に行く途中なのか、初々しい雰囲気が伝わってくる。よそよそしさを打ち消そうとしたのか、男の一人が「親しくなるためにお互いあだ名でよばない?」と提案した。おお、踏み込んできたな、いいぞおと私も力が入る。

 

男は女の趣味を聞き出し、あだ名をつけようと考えている。女は、最近はラーメン屋めぐりが趣味で豚骨ラーメンが好きといっていた。「とん子」とか「二郎」(ラーメン二郎から)とかが思い浮かぶが、あだ名というのは難しい。どういうあだ名をつけるのだろうと男の言葉に耳をそばだてていたら、男は「じゃあ、○○さんは『ラーメン大好きちゃん』だな!」というからのけぞった。おまえ、センス死に夫なのでは。いいにくいし、そのままにもほどがある。

 

いや、もしやこれは「そのままかよ」といわせるために、あえてなのだろうか。だが、他の三人もそれほど彼と親しくないのか、「ああ‥‥」といったまま苦笑いする微妙な反応だった。男はめげずにもう一人の女にもあだ名をつけようとしていた。彼女は趣味はないのだけど「家の近くに古墳がある」といった。男は「縄文人じゃん」といった。家の近くに古墳があったら縄文人というのは違うのではないか。家の近くに江戸時代の城があっても江戸人ではなく、それはただ家の近くに城がある人だ。モヤモヤしたまま四人は降りていった。

 

隣席のTさんはスマホから顔もあげないまま「決定力がないですね」とつぶやいた。あれか、サッカーワールドカップの日本×ドイツ戦の影響だろうか。たしかにあの試合のドイツは決定力を欠いていた。しかし、初対面でなんとか雰囲気を和ませようとした彼の努力は買ってもよいのではないでしょうか。たとえ全部ゴールを外したとしても。容赦がない。

 

そもそも納得がいかないことがあり、Tさんに話しかける。「あのさ、古墳が近所にあって『縄文人』はおかしいんじゃない? 時代は縄文、弥生、古墳‥‥となるけど、そもそも縄文時代に古墳はないから。古墳は時の支配者が自分の権力を誇示するために作らせたものだから、すでに権力や上下関係が発生していたことになる。でも、縄文時代は狩猟、漁労、採集の時代で狩りなどの獲物を平等にわけていたから権力や上下関係が発生しなかった。縄文晩期から弥生時代をとおして農業が行われ、農作物を蓄積できるようになって貧富の差が発生していく。農業をするには経験が必要で指導者が登場したことも考えられる。貧富の差ができれば上下関係もできる。そこで権力者を祀る古墳が登場する。実は弥生時代にもすでに土を盛り上げたような墓はあって、これは墳丘墓と呼ばれています。墳丘墓も古墳と呼んでいいかもしれないけど弥生時代に作られたから古墳とはいわない。古墳も墳丘墓の一種なのだけど、古墳時代に作られたから慣例的に古墳と呼ばれている。つまり、古墳が近所にあって縄文人というのは時代的におかし——」

 

そこまでいってTさんの顔を見ると「こいつ、マジでうるせぇな」という目をしておりました。なので「あ、すみません。どうかそのままツムツムを続けてください」といいました。「ツムツムやってませんけど」それが彼女と交わしたその日、最後の会話だったかもしれない。そこから一言もしゃべらず新宿まで気絶していた。

 

 

 

▼映画の感想『コタローは1人暮らし』を書きました。児童虐待というテーマを扱いながら、それほど重くならずに観られるアニメでした。コタローの周囲の大人たちが温かい。面白かったです。