玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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フライパンから失礼します

▼文化の日、手作り餃子を作った。レシピサイトでレシピを確認する。レシピサイトのコメントは実際に作った人たちが気づいたコツや注意点を書いてくれるからありがたい。レシピの調味料が多めのことがよくあり「実際は半量でOK」などのアドバイスが助かる。今回も読んでいると、フライパンに盛られた料理の写真と共に「フライパンから失礼します」という文言があった。誰も「皿に盛ってから撮影しろ」などと怒らないのに。

 

独特なことわりの入れ方。こうして謎マナーというのはできていくのかな。SNSで使われる「FF外から失礼します」という言葉を思い出した。あなたをフォローしてないし、フォロワーでもないけど話しかけますね、というときに使うどうでもいい挨拶。わたしはまさに謎マナー誕生の瞬間を目撃しているのかもしれない。「フライパンから失礼します」が今、熱い。わたしの中だけで。わたしだってフライパンから失礼したい。

 

 

 

▼コロナワクチン4回目の副反応。微熱、首からお腹にかけてと手首の蕁麻疹。体調はなんともないが、蕁麻疹をみたことで「これはひょっとしてけっこうヤバイのでは?」と思ってしまう。少し寝込む。本当に具合が悪かったのか、蕁麻疹が出ているのだからきっと具合が悪いに違いないと思いこんで具合が悪くなったのか、区別がつかない。なにいってるか伝わったでしょうか。伝わったところで「だからなに?」という話ですけど。

 

 

 

▼子供の頃、手作り餃子がご馳走だった。茹でたキャベツを細かく刻んで、ニラ、豚の挽肉と混ぜる。塩胡椒はしなかったように思う。アンを餃子の皮で包んで焼くだけのシンプルなものだった。本当はアンに味を付けるのだが母は料理が得意ではないし、いい加減な性格だから味をつけなかったのだろう。焼きたての餃子を口に含むと、熱い肉汁とキャベツから出た水分で口を火傷しそうになる。その素朴な熱々の餃子がとても美味しかった。

 

前に餃子を作ったのはいつなのか記憶がない。何年かぶりの手作り餃子なのだけど一口食べて驚いた。まったく美味しくない。これはどういうことなのか。餃子を前にして考え込む。どうも皮が違うように思う。前は特大サイズという皮だった気がした。この皮はペラペラで薄いし、べしょべしょしているような。肉汁も出てこない。だが、皮だけの問題なのかとも思う。そもそも普段食べている冷凍餃子がそれなりに美味しいのだ。市販の冷凍餃子の味が上がり、いつの間にか手作り餃子を抜いていたのか。わたしの舌が肥えたということもあるのかな。もはや手作り餃子はそれほどでもない味になっていたのかな。

 

『機動戦士ガンダム』で主人公のアムロ・レイが父親のテム・レイにやっと再会するも、テム・レイはすでに頭がおかしくなっていた。彼は時代遅れのパーツを「これでガンダムはもっと強くなる。最新型の回路だ」と興奮してアムロに託す。アムロは父親と別れた後、泣きながらその役に立たない回路を投げ捨てるのだった。まさにアムロの気分。急なガンダムたとえ。どうした。

 

回路と違って餃子は食べられるから偉い。残りはワンタンスープにして次の日に食べた。そこそこ美味しい。

 

 

 

▼最近ごく自然に人を褒めるようになった。女性を褒めるときは特に気をつかった。セクハラとか、下心があると誤解されるのではと、変な警戒心を抱いていた部分もあった。それがすっかりなくなったような。枯れたのかもしれない。「わりと褒めますよね」といわれて、そういえばいつの間にかと自分でもうなずくところがあった。男女ともに褒めている。

 

いつ変わったのか自分でもよくわからない。なぜ褒めるのか正直なことをいえば、人生はつらく苦しいことも多いから、褒められて嬉しい記憶をたくさんもって死んでいってほしいというか、字に直すと怖い。なにこれ。下心のほうがマシなのではないか。