玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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目に入れても痛くないほどの

▼柿の美味しい季節。柿ばかり食べていたら秋も深まってきた。

 

起きてみれば大谷選手が史上初の規定打席と規定投球回の両方を達成のニュース。めでたや。大谷選手がメジャーに行ったとき、そもそも通用するかどうかと怪しんでいたけれど本当にすごい選手になった。2年ほど前にトイレの壁紙を張り替えた。何日か前、きれいに張り替えた壁紙に1ミリほどの傷ができ、そこから黒い地が露出して目立っていた。その傷を修正液で塗ってみたところ、元の傷がどこかわからないほどきれいに補修できた。わたしが今年成し遂げたことはこれだけ。

 

 

 

▼知人のSNSをチェックして、その生活の充実ぶりをみて妬むのが趣味の卑屈くん。彼は地域猫の世話をしているという。人間嫌いの卑屈くんだが、卑屈くんになついている三毛猫だけは目に入れても痛くないほどかわいいのだとか。思えば、目に入れても痛くないとは不思議な言葉。いくらかわいくても目に入れないだろうよ。かわいいいから目に入れてみよう! という発想が狂気。頭おかしいのでは。このシリーズとして、食べちゃいたいくらいかわいいというものがある。いや、だからかわいいからといって食べないのでは。

 

ということは、あまりかわいくないものについて「まだ食べたいほどではない」という表現も成り立つことになる。サイコパス味がすごい。人というのは、かわいいものを体内に入れたくなるのだろうか。一体化したいのかな。思えばわたしは、何かを体内に入れたいほどかわいいと思ったことがない。これは不幸なことなのだろうか。そういう感情を味わってみたいもの。入れてみたいものだねえ、体内に。

 

 

 

▼卑屈くんは三毛猫をミーちゃんと呼んでかわいがっていたという。ある日、卑屈くんはミーちゃんが近所の家でエサをもらっているところに出くわした。その家ではミーちゃんはタマ子と呼ばれており、ミーちゃんは卑屈くんの姿に気づくと「まずいところを見られた」という顔をしたらしい。それから卑屈くんはミーちゃんにエサをやるたび「おまえ、本当はタマ子っていうんだな」といい続けているとか。器の小ささ、すごいな。エサを入れる皿より小さい。

 

 

 

▼太宰の短編集をいくつか読む。学生の頃、読んだときには気づかなかったが太宰はどうしようもない性格。観光地の茶店で、どてらを着て茶をすすっていると、旅行客らしい二人の娘がやってくる。太宰は、そのうちの一人から「自分たちを撮ってくれ」とカメラを渡される。太宰は山賊のようなむさくるしい格好をしていると茶店の人たちにも笑われているのに、東京から来たハイカラな娘さんたちが写真を撮ってくれというからには、カメラを器用に扱えるような男に見えるのかもしれない。見る人が見ればわかる知的な雰囲気が出ているのでは、などとゴチャゴチャ書いている。ただ「写真撮ってくれ」っていわれただけなのに、よくもそこまで。自意識過剰っぷりがいかにも太宰で良い。

 

つまらないことに腹を立て怒り出したり、どうしようもない見栄を張ったり、急に自信喪失して無様になったりと忙しい。解説の奥野健男はそんな太宰を高く評価している。第二次大戦中、教科書に載っている文章は天皇のために命を捧げようとか、怠け心に打ち克って高い志を持とうとか、立派なことばかり書いてあったという。そこへいくと太宰は等身大の自分がそこにあるというか、正直にいえばみっともなくてバカみたいというか。そのダメさが読み手をすくうこともある。

 

『走れメロス』はギリシャの伝説『ダーモンとフィジアス』と、ドイツの詩人シラーの『担保』から想を得て書かれたという。王の暴虐を批判したメロスは処刑されそうになる。メロスにはかわいがっていた妹があり、妹の結婚式に出席してから処刑されることを望む。王はメロスが式に出ることを許すが、かわりにメロスの友人を人質にとり、もしメロスが戻らなければ殺すという。メロスは式に出たあとに王の元へ戻ろうとするが数々の妨害にあう。それでもメロスは時刻までに戻り、メロスたちの友情に感激した王はメロスを許す。

 

この話だが、題材は古典からとっているが伊豆で友人の壇一雄と遊んだときの経験も元になっているらしい。壇と連日飲み歩いて宿代が払えなくなった太宰は、壇をおいて東京に帰り、宿代を工面しようと小説家の井伏鱒二のところにいく。壇は宿で数日待っているがいっこうに太宰が帰ってこない。しびれを切らした壇は宿代の支払いを待ってもらい、井伏鱒二のところにかけつける。するとそこには井伏と将棋を打つ太宰の姿があった。壇が太宰を問い詰めると「待つ身がつらいかね。待たせる身がつらいかね」といったという。開き直るんじゃないよ、おまえは。太宰はそれまでにも借金があった井伏に、あらたに借金をいいだしにくく、ずるずると日を過ごしていたらしい。『走れメロス』は命をかけて約束を守る話だが、太宰は宿屋と飲み屋の支払いに困って井伏の家で将棋を打っていただけという。実にダメな人なのだ。

 

2015年に太宰の手紙が発見されたと話題になった。佐藤春夫に自分を見殺しにしないでくれ、頼むから芥川賞をくれと頼んだ手紙だった。だが太宰の願いも虚しく、芥川賞の選考から脱落した。川端康成にも手紙を送っているがこれも効果はなかった。太宰のファンだった友人はこの報道がでたとき「がっかりした」といっていたが「そうだろうな」ぐらいしか思わないし、逆にその情けなさこそが太宰の真骨頂であるように思う。

 

人はすばらしいものに感動するが、ダメなものに共感し癒やされることもある。こんなダメな自分でも生きていていいんだと慰められることもある。子供の頃「テレビばかり観ているとバカになる」とよく聞いたが、不思議と「太宰ばかり読んでいるとダメになる」とは聞かなかったな。だいぶ情けないんだけど。思ったより大人が太宰を読んでなかったからだろうか。文学ということでダメさも許されていたのかもしれない。

 

 

 

▼映画の感想『ミナリ』『グリーンランド -地球最後の2日間-』を書きました。『ミナリ』は移民としてアメリカに渡った韓国人の苦闘が描かれています。地味な映画ですがとても良かった。

 

グリーンランド~』はディザスター映画好きの人にお薦め。隕石が地球に落ちるというディザスター映画王道のお話。丁寧に作られているように感じました。