玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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床屋

▼エリザベス女王が亡くなり、巨大な台風が襲来し、台湾では震度6強の地震があった。怒涛の一週間である。だが、わたしの周りにはこれといって何もない。無風。完璧に凪いでいた。

 

ここ2年ぐらい自分で髪を切っていた。ふと気が向いたので、先日本当に久しぶりに床屋に入ってみた。自分で切っていたから何かいわれるかと思ったがそんなこともなく、滞りなく散髪は終わった。髭も剃ってもらった。顔剃りをしてもらうのは気持ちがいい。美容院でなくあえて床屋を選ぶ人がいるのは顔剃りのためなんじゃないかと思う。

 

白くモコモコと泡立つあたたかなシェービングフォームを顔に塗り、蒸しタオルで蒸らした後にジョリジョリと産毛を剃っていく。あの音や感触が気持ちいいのだ。でも、それだけではないことに気づいた。あごの下を剃ってもらっているとき、この人がもし私を殺そうと思えば簡単に殺せると思った。命を人にあずけているゾクゾク感がある。あの感覚が楽しいのかもしれない。幼稚園の頃、母に耳かきをしてもらったときもそうだった。母の機嫌が突然悪くなり、耳かきをズボッと突き刺せば私を殺すことができる。そんなことを想像しながら、耳かきをしてもらっていた。どんな子供。

 

床屋で思い出したことがある。父が働いていた頃、明日は重要な会議があるから身だしなみを整えてくると床屋へ行った。家から5分ほどの所にあり、私の物心ついたころから店主一人でやっている小さな床屋だった。20年ぐらいは営業していたのだと思う。髪を切り終えた父が戻ってくると激怒している。みれば耳の上に毛がまったくない。ツーブロックは耳の上を薄くは残すが毛が残っておらず、奇妙に見える。耳の上だけでなく、そのまま後ろに回り込むと、生え際から上10センチぐらいきれいに刈られて何もないという変な髪型になっていた。父は激怒していたが母は遠慮なくゲラゲラ笑っていた。

 

「あいつ、どこかおかしいんじゃないか」と、父の怒りはなかなか収まらなかった。その床屋だが、それから2、3年ほどして店主は自殺した。小さい町なのでうわさが回ってくるのも早かった。お客も普通に入っていたようだし、原因はよくわからない。あれはなんだったんだろうなあ。今でもたまに思い出してモヤモヤする。急にこのモヤモヤ感をおすそ分けしたくなった。ま、どうぞどうぞ、ほらそんな嫌な顔しないで。遠慮せずに。

 

 

 

▼『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビットの冒険』の前日譚を描いた『ロード・オブ・ザ・リング 力の指輪』がAmazonプライムで始まった。楽しみにしていたシリーズではあるものの、なんか今一つ乗り切れないというか。群像劇なので4人ぐらいのメインキャストの活躍が交互に描かれるが、今のところごちゃごちゃしていてよくわからないのだった。『ゲーム・オブ・スローンズ』のようにシーズン1は説明で2から面白くなったりするのだろうか。忍耐のときなのか。

 

オリバー・ストーン監督がプーチン大統領にインタビューしたドキュメンタリー『オリバー・ストーン オン プーチン』を観ている。全4話で3話まで観た。ロシアのウクライナ侵攻のぐだぐだっぷりから、ロシア軍やプーチンを見下すネットのコメントは多い。だが、これを観るとプーチンのイメージは一変する。プーチンは愚かで孤立した哀れな男ではない。機転が利き、歴史や法律に詳しく、自制心があり、威厳を保ちながらもときにユーモアを交えて鋭い質問に答える親しみやすい大統領として描かれている。困ったことに少し好きになってしまいそうなぐらい。

 

これは2018年の作品なので今回のウクライナ侵攻の前ではあるものの、ウクライナについてもかなり時間が割かれている。ウクライナの歴史は複雑で、このドキュメンタリーでプーチンが語ったことが真実なのか判断がつかなかった。だが、NATOとアメリカの姿勢に問題があるという主張は、一部うなずける部分がある。だからといって侵攻を肯定することはないが。

 

プーチンの語っていた部分で興味深かったのは主権についての部分。「今の世界で本当に主権を行使できる国はわずかしかない。それ以外はいわば同盟国の義務を負わされているんだ」。この言葉はアメリカの顔色をうかがって振舞う日本もそうかもしれない。アメリカは他国を対等に扱わず、属国のようにしてしまう。それについてプーチンは強く反発している。これは主権ある国家として当然の反応かもしれない。

 

アメリカの政治家たちが保守、リベラルどちらも、ロシアに対して強硬な発言をすることも納得がいかないようだった。あれは選挙向けのパフォーマンスで彼らは「いずれは手を組もう」と裏でいってくるという。「目先の政治プロセスのために政府間の関係を犠牲にするのは大きな誤りだと思う」と、しごく真っ当なことをいう。これはアメリカに限ったことではなく、日本でも保守層の票の取り込みを狙って中国や韓国を批判したり、また中国や韓国でも国内での批判をかわしたり、人気取りのために日本を批判することは当たり前に行われる。どこの国でもやっている手法なのだろう。だが、それは政府間の関係を犠牲にするし、両国民の相手国への信頼を破壊する行為で本来やるべきではない。

 

こうした正当な主張もするわけで、そうすると観ていて混乱してしまう。アメリカやNATOを批判しながらも冷静に分析してみせる人間が、今回の無茶で残酷な侵攻を行ったことが頭の中でうまく結びつかないのだ。なんとも不思議な気持ちにさせられた。プーチンについてまったくわからないものの、西側の人間のインタビューを何時間にもわたって膝詰めで受けるというのはすごいことに思える。よほど自信があるのだろうし、その自信は実績と能力に裏打ちされ、とてもハリボテには思えなかった。とても興味深い記録。

 

 

 

▼映画の感想『靴ひも』を書きました。発達障害の息子と30年ぶりに暮らすことになったお話。イスラエル映画です。めずらしや。イスラエルは障害がある人との接し方がとても前向きなのかな。