玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ひろゆきっぽさとは何か

▼口にくわえたタオルをグルグルとねじって引っ張り上げる。ねじられたタオルは中尾彬のスカーフのようになった。口にねじねじタオルをくわえたまま、足でおさえつけたタオルの端を交互に踏み踏みする知人の家の猫。猫は私をじっと見つめ「これが正式なやり方なの」そういっているようだった。知人によれば、お客がくるとこの儀式をやってみせるらしい。しっかり学んで帰りたいと思います。

 

帰り道、ぶらぶら歩いていると小島よしおさんの防犯ポスターが貼ってあった。警察の制服を着ている。小島よしおといえば海パンがトレードマークだった。いつの間にか小島よしおは服を着て、武井壮もタンクトップから自然な格好になった。本人の中でトレードマークを捨て、脱却する瞬間というのがあったのだろうな。みな、人知れず変化をしている。私は何か変わったのかなと考える。なんの変化もなく、のんべんだらりと生きている。今日は猫にタオルのねじり方を教わっただけだ。ねじねじふみふみの日。

 

 

 

▼朝のコンビニはレジに行列ができている。店員が手際よく客をさばく姿をみていると、とてもあんなふうにできないなと感心してしまう。小さな戦場のような慌ただしさのなか、一人のおばちゃんが店員を呼び止めてコピー機の使い方を訊いていた。おばちゃんの注文に驚いたが、どうやら持参したA3用紙4枚の原稿を1枚のA3用紙にまとめて両面印刷したいらしい。もちろん可能ではあるがかなり面倒。A3用紙はA4用紙二枚分の大きさ。手順を考えるとA3用紙4枚を縮小コピーでそれぞれA4にする。A4になった原稿二枚を並べてA3で印刷。できあがったものを取り出して給紙トレイにセットする。今度は残りのA4原稿二枚をセットし、給紙トレイの一番上においたものに印刷すれば完成となる。5,6回は失敗しそうな気がする。だが、この複雑な手順を朝のコンビニで訊くかね。

 

訊かれた店員のお兄さんがどうするのか注目していたら「不可能ですね」と強くいいきった。それでいい。あまりに注文が複雑すぎる。おばちゃんは不服そうに「え~、向こうのコンビニは、やってくれたわよ~」と文句をいっている。じゃあ、向こうのコンビニ行けよと思いました。しかし、恐ろしい客がいるな。逮捕されてほしい。

 

 

 

▼高校時代は電車通学だったので腕時計が欠かせなかった。電車に乗り遅れれば遅刻とか、帰りは一本逃せばニ十分は待たされるので必死だった。大学時代に携帯電話が普及し、携帯に時計機能もあったのでそこで腕時計との縁が切れた。

 

雑談の折に「腕時計しないんですね」といわれた。なるべく物を持たないほうがいいのかなと思っている。物がなければ忘れることもない。ゲームなどでアイテムの所持数や重さが決まっているものがある。物を持てば持つほど移動速度が遅くなり、快適ではなくなるゲームがある。体は軽ければ軽いほうがいいし、物を持たなくて済むなら持たないほうがいい。

 

そんなふうに答えたら「ひろゆきっぽいですね」といわれる。は? 困惑した。大谷選手っぽいとか、藤井聡太っぽいなどといわれれば前人未踏のことをやっているという賞賛の意味しかない。しかし、ひろゆきっぽいとはなんだろう。思えば、ひろゆきさんというのは好き嫌いがはっきり分かれる。好きな人からすれば、議論が強いとか、頭の回転が速いとか、嫌いな人からすれば屁理屈ばかりこねているとか、関係ない所に首をつっこんでかき回すとか、揚げ足をとって論点をすりかえるとか、毀誉褒貶が激しい印象がある。どういう意味なのだろう。

 

ここで「『ひろゆきっぽい』とはどういう意味ですか」と訊けば、その質問こそがひろゆきらしさを凝縮したようであり、意味を問いただすことがためらわれた。結果、私は黙った。黙るしかなかった。ひろゆきは黙らないから。言い返さないと死ぬ病気だから。あえて黙ることでひろゆきっぽさを否定してみた。今度、私も話し相手がペラペラと能書きを垂れだしたら「ひろゆきっぽいですね」といってみたい。どうなるか反応が見たい。どう切り返すのが正解なのか考えている。

 

 

 

▼映画の感想『コーダ あいのうた』を書いていました。書いてはいたがリンクを貼り忘れていた。フランス映画『エール!』のリメイク作品。耳が聴こえない家族の中で自分だけ耳が聴こえ、家族と周囲の間で通訳代わりとなる少女の話。