玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

村上さんの大学生

▼久しぶりの村上春樹。短編集『一人称単数』を読む。相変わらず村上春樹村上春樹で、同じことを書き続けている印象。一人の作家というのはいくつものテーマを持つことはできず、基本的には同じことを書き続けるのかな。松本大洋だったら天才の孤独、努力し続ける凡人の挫折とか。それでも飽きることはないし、たまに読みたくなって戻ってくる。それで「ああ、これこれ」という、足繁く通った食堂でいつものメニューを食べたような満足感をあじわう。

 

今回の村上春樹もやはり同じだった。大学生がバイト先のよく知らない女性と行きずりの関係をもつ。あまり話したこともなく、飲み会の帰り道が一緒でなんとなくという感じ。またこのパターンなのだ。泣き虫の主人公、秘密道具や能力で主人公を助ける相棒、ガキ大将、ガキ大将の子分、ヒロイン、これが揃えば藤子不二雄作品というように、おしゃれな音楽がかかってパスタかサンドイッチを作って、簡単になんとなくセックスしたら村上春樹なのだ。間違いない。

 

毎回思うが主人公にいっさいの懊悩がないのがすごい。パンを食べるようにごく自然にしている。大学生の恥じらい、困惑、苦悩がまったく感じられない。普通の大学生ならば、駅から女性と自分のアパートへ帰る道すがら、心躍らせながらも家にコンドームの買い置きがあったか考えるだろう。いや、買い置きがあったかなどとは思わない。はっきり「ある」「ない」はわかっている。基本「ない」のだ。

 

ないときはコンビニに寄るが、彼女にバレずに自然にコンドームを買えないものかと必死で考えている。コンビニに寄るといえば、相手もたいてい付いてくる。このとき相手が先に買い物を済ませてさっさと店外へ出てくれればいいが、そうではない人もいる。気をつかってか、こちらが買い物を終えるのを店内で待つ人もいる。待つだけならまだしも「何買うの?」といって、隣に寄ってくる奴もいる。そういうとき「あっ!」と、あらぬ方向を指して、彼女がそれを見ている間に後頭部に手刀をたたきこみ、気絶させられたらな~。と、だいたい男はそういうことを考えている。

 

村上春樹はここら辺の懊悩がまったくない。そんなキャラは出てこないし、そもそもコンドームの「コ」の字が出てこない。村上春樹が描きたいのはそんな下世話なことではなく、肉体を通してお互いの心が通じ合い、そこから生まれた普遍的感情なのかもしれない。ただ、村上春樹の大学生をみていると、どういう育ち方をしたらこうなるんだろうなと考えてしまう。ちょっと妖精っぽくすらある。私には絶対に書けないもので、だから読みたくなるのかもしれない。

 

 

 

▼映画の感想に『ミセン』を書きました。韓国の大手総合商社が舞台のドラマです。とても熱く面白い作品でした。パワハラセクハラ社内イジメの描写が激しく、ちょっと観るのがつらくなる場面も。だいぶ誇張はされているものの仕事の話ということで、誰もが感情移入しやすい内容。

 

韓国はとにかく学歴差別が苛烈なのだ。大手商社に勤める優秀な人が差別なんてするかなと思うけど、学歴があるほうが学歴差別が強く起きるのかもしれない。今まで苦労して勉強してきたわけだから。父は商社や省庁と取引がある会社に勤めていた。その取引先は学閥で分かれ、派閥争いがあるといっていた。ある省は職員の多くが東大で、じゃあ東大だからみんな仲良くやっているかといえばそんなことはなく、今度は東大の何学部ということで争いがあるという。それを若い人じゃなく、いい歳をした中高年がやっていたという。大学出て何十年たってんだと思うが、そういう言葉が出るのはたいして勉強してこなかった人間だからかもしれない。

 

あまりに勉強が大変で費やしてきたエネルギーが莫大だと、学歴差別なんてバカらしいと思いつつもついやってしまうのだろうか。株の損切りができないのと似たような感じなのかな。