玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

謝ってほしい

▼あちあちで7月下旬。

 

いよいよコロナが流行ってきた。周りにも感染者が出ている。周囲にはコロナにかかったとき謝るのはやめようといっていた。どんなに注意しても感染するときはするだろうし、いつ自分がかかるかもしれない。お互い様なのだ。かかったことを言い出せない空気ができると、隠して仕事をして周りに感染させてしまう。だから言い出しやすい空気を作る必要がある。

 

隣席のTさんが感染した。彼女はすぐに感染を明かしてくれた。彼女が担当していた仕事の多くは私のところに回ってきた。復帰後、彼女は周囲に詫びていた。詫びなくていいと思うが、やはりそれが自然な感情なのだと思う。彼女は私のところにきて「(私には)謝らないほうがいいんですよね」といって、あえて私には詫びなかった。

 

たしかにそういった。それは正しいとも思う。でも、彼女の業務の多くを引き継いだのが私で、お互いさまとはいえ、あのー、私が一番大変だったのである。やっぱり謝ってほしい! だから正直に自分の気持ちを伝えた。

 

「いろいろ考えたけど、やっぱり謝ってもらって、そこで『いやいや誰がかかってもおかしくないんだから、全然気にすることないよ』といいたいんで一回謝ってほしい」

 

そういったら「ほんとに面倒くさいですね」といわれた。まだ彼女からの謝罪はない。私は謝ってほしいんだ。

 

 

 

▼「老婆心ながら」という言葉が入ったメールを受け取った。すっかり耳にしなくなった言い回し。老婆心というのは辞書をひくと「必要以上の親切心、度を越してあれこれ気を使うこと、お節介」とある。これは老婆がお節介であるという偏見に基づいた言葉に思える。今後、なくなっていくのだろうか。だとすればメールの返信には「老婆心ながら『老婆心』という言葉はもう使わないほうがいいかも」と書けばいいのか。

 

 

 

▼安倍元首相の国葬が9月27日に行われることが決まったというニュースを見る。毀誉褒貶の激しい人だった。味方も敵も多い印象。知人が仕事で安倍元首相に挨拶したとき、安倍さんは自分から手を差し出して握手し「これからは君たちのような若い人の時代だからがんばって」と激励した。そんな言葉は政治家は誰しも口にするだろうけど、知人はあっさりまいってしまい支持者になったという。実際に会えば魅力的な人だったのだろう。

国葬に反対する人は、森友・加計学園問題桜を見る会の説明がなされてないことや、国葬についての法が定められてないことを反対の理由に挙げている。それはそうなのだけど、そもそも功績があってもなくても個人を神格化するようなことは、もうやめたほうがいい。個人の神格化は第二次大戦を最後に終わったと思ったが、油断すればすぐに復活するのだなと思う。人はすぐに人を祀り上げてしまうし、嘘のエピソードは喧伝されるし、うっかりすれば銅像が立ってしまう。自分が好きな人は完璧な善人、逆に嫌いな人は完全な悪人にしておきたがる。そういった単純化の傾向が目立つ。善だけの人、悪だけの人はこの世にいない。

 

もし安倍さんに少しでも報いたいなら、家庭を破滅させるようなカルト宗教を規制する法律をつくるべきだろう。だが、そういった法案が出る気配はない。

 

 

▼映画の感想『ウィリーズ・ワンダーランド』を書きました。仕事を選ばない男ニコラス・ケイジの面目躍如。少しは選んだほうがいいのでは。うーむ、これはねえ、またしょうもない映画に出ましたよ。