玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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バカなことをいいたかった

▼今月は6回しかブログを書かなかった。いよいよなのでは。ちなみに2017年2月を見たら28回更新していた。毎日書いていた。気でも狂っていたのか。

 

ロシアがウクライナに侵攻した。1週間前まではこんなことが起きるとは思っていなかった。現地ではいろんな動きがあったのだろうが、かなりあっさりと戦争が始まったように見えて驚く。自衛隊のドキュメンタリーを観たとき、戦争を決断すると必ず相場が動くといっていた。軍需物資を備蓄するために銅などの値段が上がるらしい。だから自衛隊は熱心に相場をチェックしているのだとか。今回も変動があったのだろうか。

 

21世紀以降は大国が戦争をすることはなくなり、戦争があるとしても対テロ戦争になるだろうという話を聞いたことがあった。第二次大戦を最後に、武力で他国の領土を奪う侵略戦争は終わった。そう勝手に思っていたけど、そんなことはなかった。専門家の解説をいくつか見たが、なぜロシアがウクライナに侵攻したかは諸説あって判断がつかなかった。歴史的経緯も複雑で一般人が容易に理解できるものではない。ロシアにも言い分があるという人がいるが、それは言い分はあろう。だけど武力による侵略はもはや現代では許されない。それだけは間違いない。

 

 

第一次大戦当時のイギリス兵士を描いたドキュメンタリー『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』を観た。最初はわくわくしながら戦場に行った若者たちが、あまりの過酷さに疲弊し、隣で笑っていた戦友の頭が吹っ飛び、最終的には「この戦争、無意味だったのでは」というところにたどりつく。下の者からすれば、全部の戦争がそうなわけで、わかってるんだからやらなきゃいいのにという。そうもいかないのだろうけど。

 

しかし、ロシアのように戦争を覚悟した大国が迫ってきた場合、戦争をしたくない国というのは無限の譲歩を迫られる。際限なく譲歩すれば国すべてを失ってしまうが、それでも譲歩すべきなのか、踏みとどまって戦うべきなのか、難民となっても全員で逃げ出すべきなのか。どこまでも話し合うというのは正しいが、話し合いができない場合どうするのか。それでもなお話し合いなのか。

 

 

 

▼コロナが流行り出してから甥っ子に会っていない。いつの間にか小学一年生になっていた。母親が、幼稚園時代の使わなくなった物を捨てていいか訊くと「子供の頃のは全部捨てていい」というらしい。子供の頃て。おまえ小一やんけ。現役バリバリ子供街道のど真ん中を歩いているように見えますけどー。心温まるわ。

 

 

 

▼4文字の言葉を当てるゲーム「Kotobade Asobou」をまだ続けていた。

はまると、つい何度もプレイしたくなるが1日1回しかできないのがいい。かえって飽きない。この他にも英単語を当てる「Wordle」、四字熟語を当てる「漢字ル」などいろいろあるようです。「漢字ル」の無理矢理感すごい。

 

「Wordle」はともかくとして「漢字ル」(下のやつ)はまったく当たる気がしない。

 

3回やって2回当たっているものの完全なまぐれ。日課が増えてしまった。

 

 

 

▼映画の感想『ブラックマン・イン・サンフランシスコ』を書きました。サンフランシスコの土地開発で取り残されてしまった住人の話。難しい映画。やけに真面目な感想となってしまい、読み返したらまったく面白くないという。真面目な映画よりバカな映画のほうが感想が書きやすい。バカはいいんだなあ。

 

常々「人が景気よく死ぬ映画が観たいねえ!」などといってますが、そういうのは平和だからこそいえるわけで、こうなってくるとそういう言葉もなかなかですよ。