玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ペットのクローン

▼「言葉で遊ぼう」というサイトで遊んでいる。とても面白い。四文字の言葉を当てる遊び。これは最初に「深海」「し」「ん」「か」「い」という言葉を入れて試したときのもの。日本語でもっと使われる文字を検索すると「い」「か」「ん」「し」だった。アルファベットは「e」ですね。辞書に登録されていない単語は入力できないので、並べ替えて「深海」にした。

 

 

灰色が出るとハズレで、その文字は正解にまったく使われていない。緑色は完全な正解。黄色は正解の中にその文字を含むが、場所が違っているという意味。これだけしかルールはない。上の回は正解まで10回かかったパターンです。これ、無限に遊んでいられるなと思ったら、一日一回しかできないのだ。なぜ!? この時代によもやの手動更新か? 私の一日一回の楽しみになっている。夜の12時に更新されるので更新された瞬間やっている。

 

 

2回目の「あん肝」でかなりいいところまでいったが、そのあとなかなか当たらなかったパターン。ちょっと遊ぶのにちょうどいいゲーム。ぜひぜひ。https://taximanli.github.io/kotobade-asobou/

 

 

 

▼BSのドキュメンタリーを観る。中国ではペットのクローンが商業化されていた。犬500万、猫300万だそうで、亡くなったペットのクローンを作るために借金をかかえた人もいた。ペットの死後1週間以内の皮膚から、体細胞を摂取しなければならない。その後、体細胞からDNAを抽出して卵子に入れ、代理母となる犬や猫の子宮に移植する。人気は相当なもので申し込んでから1年半待ちだという。

 

今のところ富裕層向けのビジネスですが、安価にできるようになると身近に普及してくるかもしれません。SF映画のような話がもうそこまできている。今はペットも家族というのが当たり前だから、気持ちがわかる面もある。でも気になるのは代理母となる犬や猫の存在。番組とは違う記事(西日本新聞)ですが、シノジーン社によると「無事に生まれるのは3割程度」とある。流産する代理母も多く、母体に与えるダメージも大きいだろう。

 

年収ほどのお金をかけてクローンが作られる子もいれば、その子を産むために人知れず死んでいく代理母の犬や猫がいる。この代理母たちは、誰もクローンを作ろうとはしないし、クローンの依頼者はこの代理母たちに見もしないのだ。わけもわからず妊娠させられて、何度も子供を産まされて死んでいくだけの命がある。命の価値の差に悲しい気持ちになった。一つの命を作り出すのに他の命を犠牲にしていいのだろうか。

 

こういう話になると、自然に背くかどうかが議論となる。クローンで生命を作り出すことは自然に背く行為なので禁止という主張は理解できる。だが、どこまでが自然なのだろう。品種改良でより甘い果実を作り出すことは自然に背いてないのか。脂肪が多く含まれ、柔らかい肉質の牛を作ることはいけないことなのか。自然に人間を含むのであれば、そもそも人間は何をしてもいいことになる。人間がクローンペットや、その先にあるクローン人間を作り出すことも自然の範囲内とも解釈できる。どこまでが許されるのだろう。

 

今はペットのクローンには問題があるように思う。ただ、クローンの安全性が増し、代理母の死亡率が落ちて危険性が排除されたときはどう考えればいいのだろう。やはり死は絶対にくつがえらないものとして受け入れるべきなのだろうか。そもそも、クローンといっても記憶があるわけではなく、亡くなったペットとは完全に別の個体なのだけど。DNAが同じというだけなのだ。

 

今日は中国で人工子宮が開発されたというニュース(Newsweek)も見た。富裕層の女性はお腹をいためずに子供を産み、貧しい階層は自分で産む時代がくるかもしれない。「え、おまえ、人間から生まれたの?」という差別を受けたりして。SF映画の時代がくるのか。

 

 

 

▼映画の感想『ジョジョ・ラビット』を書きました。第二次大戦中のドイツ、ジョジョという子供の目からみた戦争映画。本当にふわっふわした感想になってしまった。サマセット・モームが「書きながら考えるんじゃなくて、ちゃんと考えてから書けばいいじゃん」みたいなことを書いていた。たしかにそうなんだけど、書いている途中にわかることもあるわけで~などと思っていたが、何もわからなかった回でした。