玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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価値観のアップデート

▼ここのところ肩や首が痛かった。何かと思っていたら、これが噂に聞く肩こりではないかと気づく。今までまったく肩がこらない人生をおくってきたわけで、ここにきて急にである。そうか、これが人々の苦しみかという。何様。

 

肩こりがひどいと何もやる気がしないのだった。コタツに入ってショップチャンネルを眺めていると、ホコリがあっという間にとれるフサフサの何かが売っている。ホコリは静電気があるとなかなか取れないが、あら不思議、このフサフサの何かで軽くなでただけで取れてしまう。テレビなどのホコリも簡単にとれる。魔法のよう。テーブルを拭くための短いフサフサ、天井掃除もできる長いフサフサ、あわせて7000円だったが買ってしまった。フサフサしたい。肩こりが楽になるグッズがあればいいなと思っていたが、気づけばまったく関係ないフサフサを買っていた。

 

 

 

▼オミクロン株が流行っている。流行っていても特にやることは変わらない。機嫌よく生きるということしかない。オミクロン株自体は重症化リスクは少ないとされているが、感染力が高いということは感染者の分だけ変異株ができる可能性も高まるということ。また新しい変異株が流行して、その変異株の重症化リスクが高いと恐ろしい。結局、今までどおりおとなしくしている。唐揚げを作る。

 

 

 

▼打ち合わせが始まるまでの間、ボーっとする。70代ぐらいの参加者もいて、その二人の雑談を聞くともなく聞いていた。一人が「あんた、故郷(くに)はどこかね?」といったので驚いた。寅さんなどでしか聞いたことがないセリフだが、とても似合っている。粋なものだと感心する。こういう言葉は似合う年齢があるのだろうな。私などが口にしても嘘くさいし「頭うった?」と思われてしまう。やはり似合う世代というものがある。

 

これから先は「あんた、故郷はどこかね?」など誰も言わなくなるだろう。集団就職などで地方から上京してきたり、都道府県をまだ「クニ」と呼ぶ文化が残っていたり、そういった時代の人が使う言葉。もう消えゆく言葉だ。私の周りではどういう言葉が流行っているかなと考えてみるが、あまりパッとしたものが浮かばない。最近だと「価値観をアップデートしなければならない」という言葉はよく耳にする。

 

思えば不思議な言葉。いつの時代でも価値観はアップデートされねばならなかったし、うっかりすれば時代に取り残されたはず。そんなことはわかりきっているのに、それでもあえていわれるのだから、やはりそれだけ時代の流れが速くなっているのかもしれない。流行語や新しい言葉ができるとき、現象そのものは人の心の中にふわふわと漂っている。時代の空気のようなものがある。その空気をうまくつかまえ、人々の心にピタリとはまる言葉がでたときに流行語になるのではないか。とにかく今は流れの速さを感じる。

 

価値観をアップデートは「あんた、故郷はどこかね?」と違ってあまり粋な感じはない。なんとなくねえ、いってる人間のツラが気に食わないというか、軽薄な感じがするよ。Web2.0という言葉が流行り、あっという間に廃れたがあれと同じ臭いがする。語感の良さに引きずられて使っているだけで中身がない。何かいった気になっている。ゴリラ部長が近頃とくに「こういう時代だからこそ、価値観のアップデートを」などといっているが、ゴリラなんだからバナナの心配してりゃいいじゃねえかと思うが、ようするに私はゴリラ部長の悪口をいいたいだけでは。ここまで書いてようやく気づいた。

 

 

 

▼映画の感想『ケンとカズ』を書きました。覚醒剤を売る二人。チンピラ二人がご近所にいそうな感じがして怖い。