玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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伯母の手術

▼朝は布団から出るのが嫌な季節。早く目が覚めて「まだ寝られる、ぐふふふ‥‥」というのは嬉しいが、もう起きねばならぬとわかっていながら、もうちょっとだけ寝たいときはつらい。そんなしょうもないことをという話だが、枕草子とかも結局そんなことばかり書いているからなあ。よいのだ。しょうもない話で。

 

 

 

▼『SASUKE2021』を観る。何年かに一回観たくなるんだよな、SASUKEは。SASUKEについてほとんど知らないのだけど、私が観ていた頃はSASUKEが火つけ役になったのか筋肉ブームだった。腕立てや腹筋の回数を競う『筋肉番付』などの運動番組が流行った。字の勢いがすごいな『筋肉番付』って。いい言葉だ。正月だし、書初めで書きたい。

 

その頃のSASUKEは挑戦者が着ぐるみで出たり、素人もたくさん出る印象があった。やや運動寄りの『風雲たけし城』のような。たとえが余計にわかりにくいかもしれませんが。ところが今日観たら遊び半分の素人はまったくおらず、全員がアスリートのように仕上がった完璧な体型をしていた。もうSASUKEはこうなっていたのか。

 

古舘伊知郎以来のアナウンサーの仰々しい言い回しは相変わらずで「SASUKE界の勢力図が今日、塗り替わるのか~!」などと盛り上げていてたいへん良かった。SASUKE界て。だが、そんな言い回しにも納得するほどレベルの高いアトラクション番組になっていた。1stステージのそり立つ壁は、今はなんと二重になっているのだ。知ってましたか!? 1stステージからあれは厳しすぎるのでは。興奮してしまった。きっと常識なのだろうな。

 

ミスターSASUKEこと山田勝己さんも相変わらず元気そうで嬉しかった。弟子に必死にアドバイスするも無視され「おまえ、俺の言うこと全然聞かないな」「聞いてませんでした!」と思いっきり軽んじられているのがよい。山田さんが活躍してた頃のSASUKEは「いい大人が運動会を必死でやっている」という冷めた見方が世間にあったように思う。私も少し冷笑的に観ていた。当初はTBSも、山田さんを「自宅にSASUKEのセットを作った狂気の男」として面白おかしくとりあげていた。それが今や、誰もがSASUKEのセットで練習するのが当たり前で、そこがスタート地点といった雰囲気すらある。出場資格を「家にSASUKEセットを組んだ人」にしたらどうか。

 

かつて山田さんが挑戦に失敗したときのインタビューで、涙ながらに「俺にはSASUKEしかないんですよ‥‥」と語ったときは「いや、他にもいろいろあるだろうよ」と笑ってしまった。そもそもSASUKEってTBSが放送するまでなかったわけだし、山田さんの家族はこれをどんな気持ちで観るのだろうと思った。だが、どこかで山田勝己を笑いきれない部分があった。大の男が涙を流して「自分には○○しかない」と言い切れることがあるだろうか。私にはそこまでのものはない。世間の人もそこまで確固とした何かを持っている人は少ないのではないか。山田勝己を笑いながらも、山田勝己と比べれば誰もが敗者にならざるを得ない。だからこそ、人は山田勝己に惹きつけられるのではないか。そんな山田さんはSASUKE攻略のため、弟子を集めて山田軍団を結成していた。思わず「山田軍団・黒虎」と検索したが、何を打ち込んでいるんだ、私はという気分にさせられた。

 

出てきた動画には、若者の先頭でランニングする山田さんの姿があった。山田軍団・黒虎は「くろとら~、ファイッ、オゥ、ファイッ、オゥ」という掛け声でランニングするのだな。山田さんの「くろとら~」という掛け声だけで笑ってしまった。軍団メンバーの中には、この掛け声に納得してないメンバーがいる気がする。

 

世の中には、そこにいるだけで面白い人というのがいる。

 

 

 

▼輸血できない宗教に入っている伯母が入院した。ようやく受け入れてくれる病院が見つかった。今年中の手術は検査などもあるので無理かとあきらめていた。だが、25日入院27日手術ということになった。それほど病状が差し迫っていたのだろう。伯母は「ちょっと切って終わり」と豪快に笑っていたので内視鏡で済む程度かと思っていた。伯父の説明を聞くとどうもそうではない様子。

心臓を取り出して、いったん心臓を機械につないでその間に処置をするのだとか。その病院では朝一から手術はしないのだが、何かあって長引いたときのために朝からやるらしい。80歳過ぎて胸をあけて心臓を取り出すって、伯母ちゃん、淡々と語っていたが豪快だな。戦国武将かなにかなのか。

 

そういえば伯父の母も輸血できない宗教に入っていた。伯父は、伯父の母が倒れたときに病院でつきそっていた。そのとき伯父の母は心細そうに「私、このまま死んじゃうのかな」と伯父に聞いたそうである。伯父が決めたのか、伯父の母が決めたのかわからないが、輸血をせずに伯父の母は亡くなった。その決断をどうこう言う気はない。今回、伯母の手術がうまくいかず輸血をしなければならなくなると、伯父はまた同じ苦しみを味わうことになるのか。なんだかやりきれない気持ちだ。

 

輸血をしたことで地獄に落ちようが復活できなくなろうが、そんなことどうだっていいじゃないか。神様も何千年、人間を試しているのか。自分が作ったんだから、人間が欠陥品というのはとっくにわかっているだろうに。伯母ちゃんが死んだらどうするんだと、とげとげしい気分になった。苛立ちを感じながら、それでもどこか冷静に年賀状を印刷していた。私にできることは何もなくてさびしかった。コロナ対策ということもあり、家族以外はつきそいはできないので伯父の報告を待つことになった。

 

午後早く、伯父から手術が無事に終わったと連絡があった。なぜかわからないけれど、学生時代に流行ったZIGGYの『GLORIA』を繰り返し聴いていた。聴いている間は気持ちが楽になった。

 

買い物に出かけたら店員さんが「よいお年を」と言って、私も同じように返した。