玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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石油ストーブ

▼クリスマスだった。知人のSNSをチェックして、その生活が充実しているのを見て妬むのが趣味の卑屈くん。今年もクリスマスは一人だったという。卑屈くんが家にいて、一人ご飯を食べようとしたとき「メリークリスマス!」と炊飯器が話しかけてきた。最近流行のしゃべる家電なのだ。卑屈くんは炊飯器に「てめぇ、二度と話しかけんじゃねぇぞ! 機械と人間は身分が違うんだ!」と言い放ち、炊飯器のしゃべるモードを切るために説明書を見たがよくわからなかったという。地獄のようなクリスマスをすごしておりますな。狂人のクリスマス。

 

私はクリスマスに関して一切の感情がなくなってしまった。平日と同じであり、完全に「無」で何も思わない。ケーキも食べなければ、プレゼントを配りもしない。まったくの「無」で過ごしている。それはそれでどうなんだとも思うけれど。

 

 

 

▼今年の冬は数年ぶりの寒波が到来しているとかでやたら寒い。日本海側はかなりの大雪になっている。

 

小学校の頃、エアコンなどの冷暖房設備は教室についてなかったように思う。だが、冬には教室に石油ストーブがやってくるのだ。それが待ち遠しかった。柵で囲まれた大きな石油ストーブで、大蛇のような排気ダクトが教室の天井に伸びている。その仰々しさと暖かさでストーブはかなりの存在感を放っていた。

 

秋までは給食に出るパンは冷たいマーガリンで食べるしかなかった。だが溶けていないマーガリンというのは、ニチャニチャしてあまり美味しくない。冬の何が嬉しいかといえば石油ストーブでパンが焼けるのだ。給食を受け取ると、みな我先にとパンを焼きに行った。ストーブの天板の上にパンを置き、その上にマーガリンを置けば程よくマーガリンが溶けた香ばしいパンが食べられる。思い出で美化されているのかもしれないが、あれは美味しかった。今、考えると石油ストーブでパンを焼くのは不衛生な気もする。小学生など走り回らねば死ぬ生き物だから、そこかしこにほこりがありそう。先生がストーブの上を毎回拭いていたのだろうか。だが、そんなことをしていた覚えはない。いい加減な時代だったのだろう。

 

小学校1、2年の頃の担任はおじいちゃん先生だった。おじいちゃん先生と書けば、ちょっと耳が遠くてニコニコして優しいイメージだが、そういうのとは程遠かった。よく怒鳴った。授業中、私語をしていると容赦なく分厚い手で叩かれた。それも適当で、話していないのに前後の奴と間違えて叩かれる誤爆があった。逆に、私が話しているのに他の奴が叩かれることもあった。まあ、トントンということで良しとしていた。女の子にはかなりえこひいきが激しい先生だったようで、保護者から抗議があったと聞いたこともある。かわいい女の子の体を触ったとかで問題になったらしい。こうして書くと、クソジジイなのではないか。

 

私は背が小さかったので一番前の席に座っていた。前の席にいる生徒が先生のパン焼き係に任命される。この先生は少し変わっていて、パンを「真っ黒のカリカリに焦がせ」と命令する。言われた子供は、先生のパンの番をしているのだけど、家で焼いているときの癖なのか、そこまで黒く焼かないのだ。子供ながらに健康に悪いと思うのかもしれない。ほどほどに焼けたパンを先生のところに持っていく。そうすると先生は「そうじゃない。もっと焦がせ」と言って、結局、自分で焼いていた。

 

何代ものパン焼き係がクビになった。良心がある奴は脱落した。ついにある日、私がパン焼き係に任命された。私は言われたとおりにパンを炭のように焼いて先生に渡した。先生は、これだよ、これと言うように嬉しそうにパンを食べた。それからクラスが替わるまで、ずっと私が先生のパンを焼くことになった。私が素直でいい生徒というわけではなく、何も考えてなかったか、死んでもいいと思っていたのかもしれない。やれって言われたんで、言われたとおりにやりました、の精神である。アホの精神でここまできた。

 

石油ストーブで焼いたパン、美味しかったなあ。

 

 

 

▼映画の感想『キャッシュトラック』を書きました。ジェイソン・ステイサム主演作品。緊張感のあるサスペンスでした。いつものイサムちゃんと違うシリアスなイサムちゃん。良かったですよ。ガイ・リッチー監督は、カメラに向かって銃を構えさせるようなけれん味のある撮り方をしますね。ずいぶんとこれみよがしなのだけど、堂々としていて格好良く見える。やりようによっては「ダサい」となるのかもしれないが、そうはならない。