玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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出てこない

▼「10月の最後にある、あれなんだっけ? 悪魔の日みたいなやつ」と、アルバイトの女の子に訊ねた。「ハロウィン? ハロウィンて言葉出ないのヤバくないですか」と言われる。歳をとると言葉も出なくなる。若い人たちに介護されながら生きているのを感じる。彼女に年齢を訊かれたので45歳と答えると「おばあちゃんと同じ」と言うのでたまげた。では、今後は孫ちゃんと呼びたい。

 

しかし、待てよと思う。孫ちゃんは二十歳ぐらいに見える。おばあちゃんが45歳というと15歳で子供を産んで、その子が15歳のときに孫ちゃんを産んで、それで孫ちゃんが現在15歳ということなのだけど。おまえの一族は早く産むタイムアタックでもしてるのか。早すぎるだろうよ。詳しく聞いてみると、孫ちゃんのおばあちゃんは50ちょっとだった。それでも十分若いけれど。

 

孫ちゃんは「45も50も、ほとんど同じじゃないですか」と言う。アホか。45歳は四捨五入したら0歳、50歳は四捨五入したら100歳だろうが。天と地ほど違うわ。と言うと納得いかない顔をしていた。彼女にとっては45も50も変わらないのだろう。なにせ男は30を超えたら「おっさん」に分類され、人権は失われる。以後、家畜として扱われる。40を超えたら虫。私にとって大違いでも、彼女からすれば45と50は完全にイコールだ。そもそも、おっさんの歳などどうでもいいはず。「45と50は違います」という文字を入れたTシャツを作ろうかな。それにしても、あとちょっとで半世紀いきたことになるのか。バカでも半世紀いきられるのだな。何か恐ろしい気もする。

 

孫ちゃんが帰り際にチョコレートをくれた。「トリック・オア・トリート」とつぶやくと、孫ちゃんは「よくできた」というようにうなづいた。介護されている。

 

 

 

▼午後、日差しが暖かかったのでコーヒーを淹れてベランダのベンチで読書。ほほほ。優雅。と思っていたら、すぐに寒くなったので部屋に引っ込んだ。こたつ出そうかな。法医学といえば上野正彦さんの本が有名ですが、法歯学についての本を読む。歯からもいろいろわかるという話。空き巣に入った家で、犯人が羊羹やリンゴを食い散らかし、食べ物に残っていた歯型が証拠となって捕まったケースがあるという。犯行現場からはすぐに立ち去るべきだし、余計な物など触ってはならない。肝に銘じよう。

 

歯の治療状況をみれば保険範囲内の治療かどうか、金などを使っているか、歯石の付き具合、歯の摩耗具合、歯の形・大きさ、ヤニの付き具合などで、衛生観念、裕福さ、年齢、性別さまざまなことがわかるという。そこから職業などを推測できる場合もある。治療痕と歯のカルテを照合すれば容易に個人を確かめられるし、入れ歯の作者を探し当てて本人にたどり着くこともある。歯がなくても顎や頭蓋骨の形などでおおまかな人種、性別、年齢などはわかる。証拠を残さないということは不可能に近いものなのだな。と、なぜか犯人目線で見てしまう。

 

全然読まない分野の本を読むと楽しいな。あと、標準語がいつから始まったのか考えている。ネットでは上田万年が『国語のため』で標準語の必要を説いたのが明治28年とあった。明治35年に文部省に国語調査委員会が設置されて標準語選定準備が進んでいく。少し前に読んだ加来耕三さんの本では、戦国時代はせいぜい隣の地域の言葉ぐらいしかわからなかったのではと書いてあった。薩摩と京都の人間があっても何も話が通じないという。現代から過去にタイムスリップして、大昔の人とすらすら喋っているフィクションがあるが実際には難しいのだろう。なにせ同時代でも地域が違えば話が通じないということがあったのだから。

 

戦国時代が終わり、江戸時代には参勤交代が始まった。ここが標準語の始まりなのではないか。参勤交代の狙いは、地元と江戸を大名行列で行ったり来たりさせることで、大名の資金を使わせて反乱を起こさせないよう国力を削ぐことだった。その副産物として街道の宿場街にお金が落ちて発展した。同時に言葉の流通も起こったのではないか。各藩からは参勤交代しないで江戸に常駐する「定府(じょうふ)」の者たちがいた。また江戸詰め(参勤交代の際には地元に戻る)もいた。こうした人々から江戸の言葉が全国に伝わって標準語の先駆けとなったと想像している。

 

書きたいことが他にあったのだけど中途半端に長くなってしまった。下着泥棒の話だった。それ、べつに書かなくてよいのでは。

 

 

 

▼ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の完結編となるシーズン8を観終わった。史実のような重厚な作品だった。シーズン8は評判が悪く、随所でめちゃくちゃに叩かれていたがわかるような気がする。今まで揉めていた人々が、NHK連続テレビ小説の最終回のように急に一致団結して敵に立ち向かったり、そうかと思えば反目して殺し合ったりする。名君が突如として暗君に転落したり、宿敵であるサーセイはあのようになってしまうしで、シーズン7までを観てきたファンは不満に思うのだろうなあ。私は5話のデナーリスの暴走でうんざりしてしまった。ううう、デナーリス好きだったのに。まったく大団円とは程遠い苦い終わり方だった。敬愛するティリオン・ラニスターは最後まで皮肉屋で優しかったけれど。長い作品を観終えると喪失感がある。喪失感があるのがきっといい作品なのだろうなあ。さみしい。