玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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倫理観の敗北

▼いつもと違う餃子を焼いてみた。他の料理と同時進行だったこともあり餃子が焦げた。餃子は羽根つき餃子で、うまくいけばフライパン一面に片栗粉の羽根ができたはず。羽根が全部焦げた。羽根つき餃子を買って、羽根の部分をすべてはがして食べる。なんだろう、この気持ち。ピタリとはまることわざがあったようだが思い出せない。

 

とりあえず今は「羽根があるから羽根つき餃子を買ったのに、焦がした羽根の部分だけ捨てる」だ。長い。

 

 

 

▼テレビショッピングで夢グループの宣伝をよく見かける。ジャパネットといい、トーカ堂といい、オンラインショッピングはちょっとなまった社長が宣伝するのがもっとも信頼されるのかな。洗練されていれば格好いいかもしれないがときに冷たさも感じる。ある種のダサさには安心感や親切さを感じられる。テレビショッピングにはそれが大事なのだ。『カラオケ一番』という自宅でカラオケが楽しめる商品では、社長みずからが謎の曲を歌い上げる。森で謝りまくる社長。またこれが下手で「これなら自分のほうが上手い」と自信になりそう。きっとそれも良いのだろう。

 

 

『カラオケ一番』はテレビとの接続をビデオ端子でおこなう。黄色は映像端子、赤と白はそれぞれ左右の音声端子だが、そういう説明もない。

 

 

何も考えずに同じ色のところに差し込め、と単純明快。「おまえはバカだから考えるな」みたいに聞こえるが、誤解がなくていいのだろう。映像端子は必ず黄色のところに差さねばならないが、実は音声はどちらでもいい。赤のところに白をその逆でも音は出ます。なぜかテレビショッピングをずっと見てしまうときがあるな。

 

 

 

▼国家を育てて世界制覇を目指す『シヴィライゼーションⅥ』をやる。上手い人だと1ゲーム2時間以内に終わることもあるらしい。すごいな。私は10時間ぐらいかかっている。このゲームはいくつか終わらせ方があり、科学勝利(ロケットを飛ばす)、文化勝利(世界中から人がくる観光地にする)、宗教勝利(世界を一つの宗教にする)、制覇勝利(敵を全部滅ぼす)などがある。科学勝利と文化勝利は終えた。ほほほ。楽し。あとは宗教と制覇か。

 

 

宗教勝利はルールが難しそうなので、次は制覇勝利を目指そうかな。外国人が作ったゲームだなと思うところがある。わりと簡単に核兵器を街に撃てるのだ。撃たれた街は市民が死亡し、ユニットが消滅し、街の防壁や施設が破壊されて汚染される。ゲームとはいえ、ためらってしまう。しかし、銃で撃ち合ったり、刀で斬り合うゲームなど当たり前にある。なぜ核だけそんなに過敏になるのかといえば、それはそうなのだけど。

 

気にしすぎかもしれないが、核とか原爆とかでふざけてはいけないという刷り込みがあるのかな。小学生の頃、プロレスで藤波辰爾選手のドラゴンスープレックスホールドを見た。試合後、テレビには決め技と選手名が表示されるが、そこにはでかでかと「飛龍原爆固め」と出ていた。子供ながらに「いいのか、これ?」と思ったが、いつしかテレビからその呼び名は消えていた。なかったことになっていた。

 

シヴィライゼーションを2回目にプレイしたときは、相手が宇宙にロケットを飛ばそうとしていた。核で宇宙基地を吹き飛ばせば勝てたけど、爆弾を落とすのをためらって負けてしまった。うーむ、倫理観の敗北。

 

 

 

▼小室圭さんと眞子さんの結婚でYahoo!ニュースのコメント欄が地獄のようになっていると聞いたので見に行く。なるほどー。なってた。天皇制や皇室といった制度を維持していると、いつかは国民にとって認めがたい人も出るのだろう。そもそも天皇制自体が人間の平等にそぐわないものだからやめたほうがいいと思うけれど。天皇制や皇室廃止という議論にはならないのだな。上皇があまりに献身的に天皇という役割を務められたので、第二次大戦後にいったん人になったものが再び神格化されてしまったのかもしれない。難しいところ。

 

破談にすべきなどと書いている人たちもおり、おののく。仮に失敗するにせよ、それは本人たちの責任。失敗する自由もあるはず。本人の意思に関係なく結婚させれば戦国時代の政略結婚と変わらない。人権を無視した書き込みが多くて驚く。「世論は常にリンチであり、リンチは又常に娯楽である」といったのは芥川龍之介だが、明治からあまり進歩してないのかな。閲覧数によって報酬が発生する仕組みが、よりリンチに拍車をかけているようにも見える。お金が儲かれば人が死んでもいいという仕組みが改まる様子もない。恐ろし。

 

 

 

▼久しぶりの震度5強の地震。こわー、しかない。花瓶が倒れただけで済んだ。

 

 

 

▼映画の感想『ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像』を書きました。雰囲気にひかれて観てしまうフィンランド映画。おじいちゃんの信念がよくわかりませんでした。