玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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酒のトラブル

▼明日、台風がくるらしい。網戸の破れを補修し、きしむ戸棚のちょうつがいに油を差し、革靴を磨く。風で植木が飛ばないようにベランダの隅に寄せた。ひっくり返った蝉の死骸を見つける。蝉の体は思いのほか軽い。夏の忘れ物のような蝉を植木に埋めた。どれほどの時間で土に還るのかな。ひとつひとつやるべきことをやると気持ちが落ち着く。

 

仕事は手つかず。この気持ちはあれか。テスト前日、急に部屋の掃除を始めるやつでは。正式な病名を知りたい。

 

 

 

▼今日は週に一度のプリンデーということでプリンを作る。なんだな。出来はいいのだけどしっくりこない。人は飽きる。あらたなデザート探しの旅が始まる。

 

 

 

自民党総裁選は岸田氏が勝利した。候補者の中ではもっとも穏健で少しほっとしている。だが、これで衆院選自民党が負ける可能性はかなり低くなったように思える。もっとも誰が総裁になろうと、自民党が敗北することはないだろうけれど。政権交代のある二大政党制が健全な形に思えるが自民党を脅かすところまでもいかず、そうなりそうもない。野党をまとめるような人は見当たらない。

 

 

 

▼動画配信サイトが充実したおかげでモノクロ時代の作品も観られる。今日観た映画は、やや残念な出来だった。時代劇なのに殺陣がない。斬り合いになると役者が画面から消え、斬り合う音と声が聞こえ、その後にふらふらとよろめいて倒れるところだけが映る。なにこれ。斬り合いを映さない時代劇は、まわりくどい比喩がない村上春樹のようなもの。映画を観た気がしない。

 

しばしば昔の邦画は良かったとか、今は質が落ちたとか、言われることがある。たしかに黒澤や小津はすばらしいが、そうでないものもたくさんあったのだろう。生き延びた名作と消えてしまった数多の“そうでもないやつ”がある。現代人は普通、生き延びた名作しか観ない。だから昔のものは名作が多いと思い込むのだろうか。後の時代の作品は前の時代を参考にして出来上がるから、現代のほうが作品全体としてのレベルは高いのではないか。そんなことを思いながら、そうでもないやつを観ました。

 

 

 

▼炎上しているラーメン評論家のニュースを読む。泥酔すると人が変わる人はいる。以前、酒席でトラブルがあり、同僚が相手から失礼なことを言われた。その謝罪の場に同席したことがある。相手方の上司は「根はいい人間なんですが」「酒が入るとどうもよくないところがあって」と、部下をかばった。

 

酒席で失敗する人の言い訳に「酒が入ると人が変わる」というのがある。酒が悪い、本人のせいではないと言いたいのかもしれない。だが、被害者側は「酒を飲んで人に迷惑をかける」ところまでがその人なのだ。「根はいい」と聞けば、本当にそうなのだろうなと思う。でも、こっちはあなたのママじゃないので根のところまで付き合えない。上辺だけの礼儀正しさでいい。ということを丁寧に申し上げた。

 

酔っ払いが変わることは基本的にはないと思う。それは自分が飲んでいる姿を客観的に観る機会がないからです。いかにひどいことを言ったり、みっともない振る舞いをしても認識できない。後日、周囲が注意しようとも、本人にはぼんやりとした記憶しかない。「またやっちゃったのか」と、うっすら思っても悪いことをした覚えがないから反省しようもない。仕方がないとも言える。だからまたどこかで同じことを繰り返す。人に暴力を振るうとか、なんらかの支払い義務が生じるとか、そこまでの大ごとになってようやく変われるかどうかになる。言ってわかる人は、言われる前になんとかしていることが多くて、わからない人は最後までわからない。なので、言うだけ無駄ということもある。

 

 

 

脱北者のインタビュー。

YouTubeのお薦めに出たので見たら面白かったです。大変な暮らしと決断。生まれた国によって決まる運命の残酷さ。日本に住んでいれば当たり前に思えること。その当たり前を手に入れるために命を賭けねばならない。