玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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太い客

▼知人は、中学生の息子から「太い客」と呼ばれているらしい。水商売やないか。「太客が呼んでるから電話切るわ」などと言われているとか。たしかに養ってくれるし、お小遣いくれるしな。これ以上、太い客はない。私も父親のことを太客と呼んでみたかった。冗談通じないから殴られそうだけど。

 

 

 

▼オードリーの若林さんが以前、自分たちの漫才を見直している話をしていた。番組で、自分たちのベストの作品を挙げなければならず、過去のものを見ていたのだとか。漫才の出来はともかく、今の基準から考えると半分ぐらいのものがコンプライアンス的にダメだったらしい。10年前ぐらいの作品がもう放送できない。ここ何年かで急激に厳しくなった感じがある。

 

以前に、あるコラムニストの方が叩かれていた。炎上した理由は15年ぐらい前の文章だった。15年は昔過ぎるのでは。生まれた子が中三になっている。こっちは責任持てるのがせいぜい2週間ぐらいですけども。それ以上は記憶がもたない。「そのときはそう思ってた」としか言いようがない話に思える。15年前は炎上しなかったわけで、今の基準で過去のものを判断するのは酷に思うのだけど。

 

日記も、古い物を公開しているのはあまりいいことではないのかもしれない。今の基準で読めばダメなものもあるだろう。自分が読むのだったら未公開でもいいわけだし。私も、日に読んでくれる人が5人ぐらいになったら未公開にしていく。断固、未公開だ。今は2、3人しか読んでいない。じゃ、ずっと公開でいいのでは。

 

 

 

▼先日、ある会議に出た。場を仕切っているYさんという50歳ぐらいのおじさんがとてもくだらない冗談を言うんですね。それと初歩的な質問をする。議論は活発でいろんなアイディアが出た。実りある時間だった。帰り道、ずっと彼のことを考えていた。

 

冗談を言うのはYさんの元からの性格でもあるのだろうけど場を和ませる効果もある。初歩的な質問をしたり、あまりたいしたことのないアイディアを出すのは、他の参加者が発言しやすくなるようにという気遣いに思えた。彼がヘンテコなことを聞くので、他の人も「こんなことを言ったら笑われる」とか「バカだと思われる」とか、気にせず発言できる雰囲気があった。そういう小さな気遣いは大事だ。誤解されたり、見下されたりするかもしれないし、バカになれる勇気というのは実はすごいことかもしれない。

 

自分が会議の中心になるとき、きっちりと準備をしていくし、この方向で進めたいと意見を決めていたことが多かった。しっかり準備されると周囲の人は意見を挟みにくい。初歩的なことなども聞きにくい。参加者が会議に参加しようという意欲を奪うことになるかもしれない。聞いているだけの人が出てしまう理由は、そこにあるのかも。

 

自分がしっかり準備して独裁的に決めれば、自分の能力以上の集まりにはならない。今回の会議はいろんなアイディアが出て、多くの人の意見が集約されたものになった。理想的な会議は主宰者がしっかりと準備をしつつも、自分の意見を言わないことではないか。冗談を言ったり、初歩的なことを言ったり、他の人が発言しやすい雰囲気を作るのが重要なことかもしれない。私は早く会議を終わらせることばかり考え、今までまったくこういった視点がなかった。なにせ独裁制は手っ取り早くていいんだよなあ。会議は5分で終わらせたい。だが、民主制はすごいアイディアが出る可能性もある。

 

後日、Yさんと会ったとき、彼はまたくだらない冗談を言い、初歩的なことを聞いていた。だが、その場には私とYさんの二人しかいなかった。誰に見せる必要もない。ひょっとしてYさんは会議を円滑にすすめようと気を遣って道化を演じたのではなく、本当にくだらない冗談おじさんなのでは。ハゲ頭を撫でまわす仕草にどこか切れ者っぽい雰囲気を感じていたものの、ただのハゲなのでは。しかし、この冗談おじさんは何か隠し持っていそうな雰囲気がある。天然か演技かわからない。いろんな人がいると、やはり面白いもの。人数の多い会社というのもいいな。