玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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成績の付け方

▼湿度100%の日。とにかく蒸し暑かった。これぞ日本の夏である。苦手。

 

買い物を兼ねて5キロほど散歩をする。学校のそばを通るとちょうど下校時間だったのか学生たちとすれ違う。最近の学生はレンズが大きく丸い眼鏡をかけている。どうも野暮ったく見えるけど流行りなのだろう。滝廉太郎みたいな女子学生がいたけど、あれは正解なのだろうか。部長みたく見える。

 

20代の頃はレンズが小さくて薄いフチなしの眼鏡が流行った。いかにもできそうに見える。子供の頃、親はレンズが大きく厚く、フチも分厚い眼鏡をかけていた。父はいくつか眼鏡を持っており、べっ甲のフチのものはかなり迫力があった。ファッションは繰り返すという。ネタ切れになって繰り返すこともあるだろうけど、親世代への反発もあるかもしれない。

 

親の世代になればお腹も出るし、頭も薄くなって皺も増える。どうしたって容貌は衰える。親への反発もある。親が身につけている物はかっこうが悪い、センスが悪い、ということで反発して親とは真逆の方向に行く力が働く。いつの時代も若い人は親とは違うファッションを好んできたのかもしれない。学生から見ればフチなしのシャープな眼鏡も、古臭くて野暮ったく映るのかもしれない。

 

 

 

▼玉川上水を歩いていると白いボルゾイのような犬を見た。

 

 

ゴールデンレトリバーよりも一回り大きい。頭が男性の胸ぐらいの高さにあり驚く。あれほどの大型犬はなかなか見かけない。すれ違う他の犬も、あまりの大きさにおっかなびっくりという様子だった。散歩で出会う犬も、みな自分より小さいだろう。怖がられることも多いだろうし、さびしくないのかなと見つめていた。ボルゾイは私を見つめ返し、体をブルっと震わせると、モリモリと巨大なブツを出した。なるほど、それがおまえの答えか。

 

 

 

▼知人から子供の成績の話を聞く。国英数理社などの普通の科目はいいものの、体育や美術の成績が悪くて平均を下げているのだとか。子供の頃、あまり変に思わなかったけれど体育や美術の成績というのは、なんだかおかしな話に思える。基本的な科目は勉強すれば点数が伸びる。でも、体育や美術というのは違う。足が速い人は元から足が速いわけで、絵が上手い人も同様。速く走る方法とか、絵の上手な描き方というのを教わった記憶がないんですよね。教わったところで、元から上手い人に勝てるかは怪しい。努力はさておき、できているという現状に対して点数がつけられてしまう。

 

大きくなるとわかるけれど運動神経が悪くても運動は楽しいものだし、絵が下手な人が絵を描いたっていい。こういう成績の付け方は子供に苦手意識を植え付けるだけで良くないのではないか。苦手な人を運動や美術から遠ざけるだけに思えるし、誰かの趣味や可能性をつぶしているのかもしれない。体育、美術系科目は出席して真面目にやっていれば、みんな5をあげてもいいように思える。

 

でもそうなると基本的な科目のみの点数で競うことになる。勉強が得意な人間が有利になるわけか。それって結局、運動が得意とあまり違わないのかな。たしかに勉強すれば成績は伸びるが「勉強をし続けられる」ということは「足が速い」と同様に能力の一つかもしれない。勉強や努力が嫌いな人もいるだろうし、そういう人には体育や美術が救いになることもあるわけか。なるほどー。じゃあ、現状維持でという結論になってしまった。いや、だけども体育や美術ってやっぱり点数必要なのかなあ。成績をどのように扱うかは、なかなか難しい。私にまったく関係ないですけど。教員の人に話を聞いてみたい。

 

 

 

▼映画の感想『トゥモロー・ウォー』を書きました。エイリアンが地球征服にきたので、ぶん殴りにいきます。家族や仲間のために! とか、そういうの好きな人は楽しいかも。