玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

規制

▼昨日、掃除してからキーボードは好調。入れ替えた3のキーも何事もなく機能している。キーボードというのは値段が高ければいいわけではない。長年使っていれば指がキーの配置を無意識に憶えてしまっている。憶えていることを自分でも気づかず、違う製品を使ったときに「なんか違うな」と気づかされることが多い。

 

 

特にこだわりはないのですがロジクールの1200円ぐらいの安いキーボードを使い続けている。これが使いやすい。三つ子の魂百までである。上部のエスケープキー(ESC)、ファンクションキー(F4とF5の間、F8とF9の間)に少しだけ間隔が空いている。これが空いていないとダメなのだ。咄嗟にアイテムやスキルを切り替えるとき、0.1秒の遅れが死に繋がる。ゲームかい、という話ですけども。仕事はどうでもいい。

 

ちょっとかっこいいキーボードを買ったこともあるけど、キー配置がなじめなくて1度使っただけでやめてしまった。高い製品を受け付けない体。キーボードにこだわりがある人は多い。タイプ音が気になる人は静音のものを好むし、逆に静音のものだと打っている感じがしないと、あえて安いキーボードを使う人もいる。

 

私の元上司はキーボードのタッチをとても気にする人だった。ノートパソコンしか使わない人で、買ってきた日に分解して、気に入らない打ち心地のキーをヤスリで削って丹念に調整する。こだわりが尋常ではない。普通、ノートは分解すると補償対象外になるから、なかなか分解しないのだけど。その人はおかまいなしに分解していた。この作業が終わらないと仕事に入れない。操作感の悪い電化製品が許せない人だった。すべての技術は人間のためにあり、人間が我慢して使うような物はダメだ、それは主従が逆転しているという信念だった。操作性の悪い携帯電話などがあるとよく壁に叩きつけていた。とても優秀なエンジニアだった。狂人だけど。

 

 

 

▼直したキーボードで中国のオンラインゲーム『原神』をやる。『ゼルダの伝説』にちょっと似ている。

 

 

塵歌壺という機能がついて、自分の土地に好きなように物を配置できるようになった。箱庭が作れる。夕日に映える噴水を作りました。ほほほ。楽し。このゲームはプロフィール欄にメッセージを書くことができる。そこで他のプレイヤーとコミュニケーションをとることもある。中国では現在、共産党創立100周年ということで式典が行われている。先日からプロフィール編集機能が使用できなくなった。どうも、共産党100周年に対する批判的なメッセージを抑え込むという目的らしい。6月4日は天安門事件が起こった日ですが、先月の4日前後もプロフィールが編集禁止になった。さらにはユーザーが使う掲示板で禁止語句が増加した。天安門事件などは前から伏せ字になっていたが「自由」という言葉が打てなくなった。自由という言葉を使えなくすることが、かえって中国の自由のなさを宣伝しているようで面白かった。

 

『原神』はただのゲームなので、登場人物たちは普通のアニメや漫画のような正義感のあるキャラが出てくる。そういったキャラは本来、自由や正義を希求するはずだし、検閲など許さないだろう。中でゲームを作っている人たちは、こういった矛盾をどのように処理して働いているのかな。キャラがゲーム内で正しく振る舞えば振る舞うほど、現実の言論統制との矛盾が著しくなる。ゲーム会社はただの企業だから、党に逆らうわけにはいかないのだろうけど。苦労して作っているのだろうなあ。チャン・イーモウ監督の『活きる』という作品を先日観ましたが、文化大革命を直接的には描かずに巧みに文革批判している。『1978年、冬。』という作品もそうだった。

 

中国は閲覧禁止の外国映画やアニメが多い。どこかで規制が作品と衝突してしまう。表現に規制のある中で中国のクリエーターは奮闘しているのだろうけど、もっと自由に作れたら、きっとすごい作品が生まれるのに。中国とアメリカはお互いに対抗心をむき出しにしているけれど、中国が表現の世界でアメリカに勝とうと思ったら、すべてを自由にするしかないのだろう。

 

 

 

▼書きたい話があったのだけど、全然関係ないこと書いて終わってしまった。急に30年前の謎が解けた話。忘れずにメモっとこ。次回書こう。