玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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敵討ち

▼『かたき討ち』(氏家幹人著)は読み終わったが、いくつか気になる話があって読み返している。

 

向坂咬雪軒による『老士語録』(元文三年、1738年成立。)に収録された話。幕府の留守居役を務める旗本 杉浦内蔵助(くらのすけ)のもとに出入りする一人の浪人がいた。名は小山六左衛門、六十歳を超えた老人で内蔵助は六左衛門を下屋敷に住まわせており、頻繁に上屋敷に呼びつけて話し相手にしていた。

 

内蔵助の話し相手を務める老人に、もう一人、内海意三という七十歳を超える医者がいた。もう仕事はせず、もっぱら六左衛門と共に内蔵助のそばに侍り、話し相手を務めた。二人は上屋敷で寝起きする日が少なくなかった。ある日、二人の老人同士はしみじみ語り合っていた折、意三は「他人に内緒」と念を押して過去を語り始めた。

 

意三はかれこれ五十年ほど前に、喧嘩で人を殺したというのである。殺害した者の息子が成人して敵討ちのため江戸に出たという話を聞いた。だが、顔を知っているわけでもないし、名前も変えたから見つかることもない。そうはいっても敵持ちなので目立つわけにはいかない。仕官するわけにもいかず、妻を娶ることもできないまま歳を重ねてしまったという。

 

人は五十年という時間が過ぎても、過去の罪を告白せずにいられないのだなと思う。いや、五十年堪え忍んだこそだからなのか。五十年も怯えて逃げ続ける人生とはなんなのか。家族、友人、知り合いもすべて捨てて違う人間になる。士官もかなわず、妻も娶らず、子も残せない。誰にも心を開いて本当のことを語れない。意三という架空の人物を演じ続けて一生を終えるのだ。その虚しさに堪えきれず、誰かに聞いてほしくなったのか。

 

意三が心を許して罪を告白した相手は、意三に討たれた者の息子 小山六左衛門だった。このときの六左衛門の驚きはどれほどだっただろう。十一歳のときに父を殺され、成人になって江戸に出て敵を探したが、なんの成果もないまま無為に年月だけが流れていた。六左衛門もまた老境にさしかかり、人生を終えようとしていた。六左衛門は後日、早朝牛込門内で意三を襲撃、老人同士の切り合いの末、十歳若い六左衛門は意三を討ち果たす。その際、意三の薬箱持ちに一刀を浴びせられて傷を負うも、町奉行所に出頭して敵討ち成就の旨を報告した。

 

めでたしめでたしとなるはずが、六左衛門が提出していた敵討ちの申請はあまりに長い年月が経過していたため、書類の審査に手間取ってしまう。ようやく六左衛門は解放されるものの、受けた刀傷が原因で破傷風となり、命を落としてしまうのだ。意三の人生が逃げ続けた人生なら、六左衛門もまた追い続けて一生を終えてしまった。人を憎み続け、敵を討つためだけに四十年追い続けるというのはどういう気持ちなのかと思う。

 

意三に罪を告白されたとき、六左衛門はどう思っただろう。目の前の友と思った男が、四十年も追い続けた父の敵だったという。敵討ちの原因になる事件はきちんとした理由があると思うかもしれませんが、実はくだらないものも多い。口論の末の喧嘩とか、碁の勝負で揉めたというどうしようもないものもある。そんな理由で、敵討たなくていいんじゃない? と思うものがある。喧嘩などの場合、立場が逆転していたことだってあるだろう。意三と六左衛門の父の喧嘩にきちんとした理由があれば、まだいいのだけど。どうでもいい話ということだってある。

 

自分が年老いて、目の前の友人が親の敵だったとして、自分なら殺すのだろうかと考えてしまう。なんだか面倒臭くなって「もう済んだことだから」と終わらせてしまう気もするのだ。私にやる気がないだけかもしれないけど。それとも憎しみは薄れることがなく、時間が経つにつれてより強固になることもあるのだろうか。ここまで追い続けたのだから、武士としてもう敵を討つしか他にないということかな。この時代の価値観で生きているのだから敵を討つことはごく自然なことに思える。歳をとってせっかくできた友人を討つというのも、それはまたつらいこと。六左衛門の心中はどんな思いが渦巻いていたのか。敵を討ったり返り討ちにあったりは記録に残りますが、なんらかの事情で辞めたものも相当数あるのだろうなあ。

 

戦国時代というのは、そんなに敵討ちがなかったらしいんですね。それというのも昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵みたいな時代で、そこら中で争いが起こっていた。敵味方がしょっちゅう入れ替わるし、戦で忙しい。何十年もかけて敵を追うというのは考えられなかった。江戸時代になって平和になったからこそ、追っかけて敵を討つというようなことができたらしい。だから敵討ちは江戸初期から江戸中期ぐらいが多かったようです。江戸中期を過ぎると、武士に憧れたのか、庶民の敵討ちが増えてきたという。

 

日本人は侍に憧れて、スポーツイベントがあると何かと「サムライジャパン」などと付けたがるけど、江戸時代についての本などを読むと、やっぱりねえ、侍はそんなにいいものじゃない気もするんですよねえ。あれはあれでいろいろ大変だなという。わけわからん理由で腹切ることもあるし。農民ジャパンで生きていきたい。