玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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誰がそれを見ていたのか

▼友人A子と話す。コロナによる巣籠もり生活のおかげでインテリアに凝っているという。インテリアにこだわり、ヨガで体をほぐした後にパン作り。その様子をインスタにアップしたとか。出た~、丁寧な生活! て・い・ね・い・な生活! 人はうっかりするとすぐに丁寧な生活をやってしまうからな。もうすぐアクセサリー作りに手を出す気がする。丁寧な奴らはすぐそういうことをやる。

 

 

ベランダのプランターに植えたミニトマトは少し大きくなってきた。ほほほ。楽しみ。

 

ハッ! も、もしや、これも丁寧な生活では!? そんなバカな。あれほど丁寧な生活を憎んできたのに。飲む、打つ、買う、三拍子そろった昭和ろくでなし人間に憧れていたのに。今からプランターのミニトマトを全部抜く。代わりにセブンスターを植えます。

 

 

 

▼知人のコロナワクチン予約をしている。自治体によってサイトの使い勝手が少しだけ違いますね。いろんな会社に依頼したのかな。あまり文句をつけても仕方がないことだけど、一社に制作依頼を出して、できあがったサイトを各自治体のサーバーに入れるライセンス契約のような形にすれば費用が大幅に浮くと思うのだけど。各自治体で発注するとそれだけ費用だけかかる。自治体同士で同じ形式のサイトを使っているところもあれば、違うところもある。一社だけに依頼してしまうと大きなバグがあったとき、全部がダメになるから、リスク分散を図ったのかもしれない。

 

高齢者によってはネット予約もなかなか大変な様子。自治体のワクチン接種はおおまかに分けると集団接種と個別接種がある。集団接種は大学や体育館などであらかじめ日時が予告され、予約できる日時も公表されていることが多い。その時間に接続して予約すれば問題ない。地元のかかりつけ医などが行う個別接種は、いつ予約できるかがよくわからない。毎晩12時にデータ更新がされるという噂をきき、12時に接続して予約を取ることができた。

 

これもお年寄りには難しいようで、体力が落ちて起きてられないらしいんですね。年寄りは夜8時には寝る印象がある。データ更新、朝の5時にするとか。予約とる人が死ぬ。

 

大規模接種の予約は1カ月ぐらい前にとれるものの、接種会場が自宅から遠いことが多い。そのため、サイトをマメにチェックして自宅近くの個別接種が空いていれば大規模接種をキャンセルして個別接種へと変更している。少しでも役に立てばと、無料で引き受けているがいろんな物をもらってしまう。おはぎ、あんみつ、花、キーウィ、バナナ、ミカンの缶詰、ハーゲンダッツなどを頂いた。そんなに気をつかわないでほしいのに。頂き物で生きている日々。

 

 

 

▼先日に引き続き『かたき討ち』(氏家幹人著)を読んでいる。『沼田家記』(ぬまたかき)という資料に宮本武蔵のことが書いてある。

 

慶長17年(1612年)に巌流島で行われた宮本武蔵と佐々木小次郎の果し合い。武蔵は小次郎と「お互いに弟子を連れて来ない」と約束していたにもかかわらず、数人の弟子を近くに潜ませていた。そればかりか、試合に負けて絶命したと思われていた小次郎が息を吹き返すと、武蔵の弟子たちは小次郎の息の根をとめたという。この話が小次郎の弟子たちの耳に入ると、弟子たちは激昂して武蔵を討ち果たそうとやってきた。危険を感じた武蔵は、小倉藩主細川忠興の従兄弟で門司城をあずかっていた沼田延元(のぶもと)に保護を求める。延元は武蔵を城内にいれて小次郎の弟子たちから守ったという話。

 

この記述を読んで、なんとも言えない違和感が残った。何度か読み返して違和感の正体に気づいた。これは「誰が語った話なのだろうか」という疑問。この話のとおりだとすれば、現場には武蔵、小次郎、武蔵の弟子たちしかいない。小次郎は絶命したので、誰が小次郎の弟子たちに「小次郎をよってたかって殺した」と伝えたのか。武蔵や武蔵の弟子が伝える意味がないのだ。げんにそれを知った小次郎の弟子たちは武蔵の命を狙い始める。どうも納得できない話。

 

検索してみると、武蔵と武蔵の弟子が集団で小次郎を殺したという説があるらしい。たしかにそのほうが納得がいく。本当は集団で殺したが、それだと沼田延元に保護を求めたときに体裁が悪い。そこで沼田には1対1の果し合いで勝ったうえで、息を吹き返した小次郎は武蔵の弟子たちが仕留めたと説明したのかもしれない。弟子を連れてきているのは問題だが、小次郎が弟子を連れてきていることを考えて用心のために一応連れてきたという言い訳もできる。

 

最初の疑問に戻るが、誰が小次郎の弟子たちに巌流島のことを伝えたのだろう。よく考えてみると、現場には武蔵、小次郎、武蔵の弟子たちしかいないように見えて、彼らを島まで運んできた船頭がいる。物陰で決闘を見たのかもしれないし、直接斬り合いを目にしなくても武蔵の弟子たちを運んだことは憶えているのではないか。それを小次郎の弟子たちに伝えれば、いくらかもらえると思ったのかもしれない。そう考えると沼田家記の記述にも納得がいく。昔の話は資料が少ないだけに好き勝手、想像できる。小説になりそうな面白い話がいくつも載っている。