玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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うらぶれて

▼雨、肌寒し。洋菓子にも飽きたので大福を作った。

 

 

餅が柔らかすぎてうまくまとまらなかった。写真は難しいな。食べ物をまずそうに撮る天才かと思う。毒入ってそう。味は美味しかったのだけど。

 

 

 

▼雑誌を読んでいたら「大人の隠れ家的カフェ」という言葉が出てきた。たまに見かけるが違和感のある言葉。そもそも「隠れ家」という言葉は子供が好むものではないか。きちんとした大人は、もはや隠れないのでは。大人の隠れ家を好む人間は、そもそも子供じみている気もする。いい歳をして隠れるんじゃないよという。でも、真の大人というのは、たとえ気に入らない表現が出てきたときも、さっと読み飛ばせるような人間なのだろう。ネチネチとブログに書くような奴は駄目だと思う。ネチネチ。

 

 

 

▼ミニトマトの芽が出た。

 

 

左がイチロー、右はジロー。安直に名付けた。今後の成長に期待。メジャーリーグで最多安打記録とか作ってほしい。ジローには特に期待してない。

 

 

 

▼以前、書いたが四十肩になってしまった。うわさに聞いていたが、これがあの伝説の四十肩かという。激痛というわけではなく、しくしくと痛む。寝ていて目が覚めることもある。右肩の可動域が狭くなった気がする。もうバドミントンなどできないのだろうか。ヨヨヨ⋯ ⋯ 。ここ何年やってないから、べつにいいんだけども。それでも何かさびしい。

 

アントニオ猪木の人生相談を読んだとき、猪木は高熱が出ると氷でキンキンに冷やした水風呂に入って治したと書いてあった。あの方法、使えないだろうか。痛い肩を腕立てなどで逆にめちゃくちゃに鍛えるという。問題なのは猪木は常人とは違うプロレスラーであって、私はただのポンコツな40代であること。つまり、無理をしたら一生ひきずるかもしれない。無理のない範囲でほどほどに鍛えるというのはどうか。ごく普通の結論が出てしまったな。

 

 

 

▼体調があまりよくないときに映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観る。いい映画だとは思うけれど、ちょっと落ち込んでしまったな。自分の過失のせいで娘二人を亡くした男が主人公。彼はその事故以来、自分を許せずにずっと抜け殻のように生きている。なんともなあという話。

 

映画を観終わってから、おぼろげに「人がたくさん死ぬ映画を観たいなあ」と思っていた。たまにこういう状態になるときがあって、それはどういうことだろうと考えていた。『マンチェスター~』は娘の死の重みに堪えられない男を描いている。娘の死は書割的なものではない。きちんと重さをもって主人公にのしかかっている。だからこそ、人が意味もなくバンバン死んでいくような爽快感があるものが観たくなるということかな。勧善懲悪の時代劇だったり西部劇のような。

 

多すぎる死があれば、一つ一つの死に注目できなくなる。死は、物語を盛り上げるための装置や背景としてしか捉えられない。だから、一つの重みをもった死ではなく、どこまでも軽くてなんなら笑えるような死がたくさん観たい。ということから「人がたくさん死ぬ映画が観たいなあ」という心境なのかもしれない。

 

少し前に田中邦衛さんや田村正和さんが亡くなった。好きだった役者が亡くなるのは、やはりさびしいもの。一方では、将棋の藤井聡太さんや野球の大谷選手など新しい人がものすごい活躍をしている。入れ替わっていくのだなあ。なんだか今日は全体的にうらぶれた日記になってしまった。やれやれ。次回はいつものように波乱万丈、抱腹絶倒、大逆転日記になるでしょう。そういうの書いたことない。