玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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スパチャ

▼友人が小学生の娘に「好きなVTuberにスパチャ(投げ銭)をしたいから代わりにお願い」とお小遣いの千円を渡されたという。娘にとってはなけなしのお金で、それが今月の小遣い全額らしい。そういうこともあるのだな。YouTubeでスパチャをするにはクレジットカード登録が必要で、当然子供はカードがない。iTunesカードでもできるはずだが、やり方を知らないのかも。

 

スパチャは贈る金額によってティッカー(金額やコメントの表示部分)の文字数、色、表示時間が違う。目立つから配信者にコメントを読んでもらえるチャンスも増える。千円からはオレンジになるという。一万円以上は赤で「赤スパ」という言葉を聞いたことがある。戒名のランクが上がると文字数が増えるのと似ている。たとえが完全にクソジジイですが。

 

しかし、自分の稼いだ金をスパチャに使われるのは抵抗がある。友人は「おまえが自分で稼いでからにしろ」と断った。だが娘は納得せず「ゲームや漫画を買うのとスパチャで使うのとどう違うの?」と食い下がる。たしかに小遣いの使い道は自由だ。自由ではあるが、何か納得いかないという友人の気持ちはよくわかる。VTuberをまだ芸能として認められないということなのかな。

 

子供の頃、16連射の高橋名人が好きで、連射測定機のシュオッチを買ってほしいとねだったとき、親もこんな気分だったのだろうか。

 

 

1秒間に16回連射できるから何? 1回測ったら終わりだろ。くだらねえ! と思っていたのだろうなあ。買ってくれませんでしたけど。キン消し、カー消し、ビックリマン、舐め猫グッズなど、子供が欲しがる物はいつも大人から見ればくだらない物ばかりなのだろう。でもスパチャはちょっと違うような気もする。現物がないからなのかな。サブスクリプションのサービスも物がない。物がなくても映画、本、音楽などを楽しめるわけでそれは無駄とは思わない。

 

スパチャの仕組みが嫌なのだろうか。お金を払ってコメントを読んでもらって承認欲求を満たすというのが虚しいように思うのだ。どうせ読んだ側は翌日には忘れている。だけど、好きな人にたとえ一瞬でも認知されたいという気持ちはわかる。スポーツ選手や芸能人に手紙を送る心境も同じかもしれない。面白いことをやってくれる人に感謝を伝えたいことも理解できる。ただ、そこにお金が絡むとちょっと違う気がする。VTuberも小学生からは集金したくないんじゃないか。

 

あと、稼いでいるからなあVTuber。「お父さんより年収十倍以上あるからスパチャ必要ないんだよ。あの人たちは一万円が百円ぐらいにしか感じないから、お父さんのほうにスパチャしてくれ」と言えばいいのか。難しいところ。ない物に金を使うといえば、戒名や葬式だって同じかもしれない。神も仏もいなかった場合、何に払ってるんだかよくわからないことになる。結局は、自己満足ということになる。だが、自己満足こそが目的ならば戒名もスパチャも同じなのか。スパチャの方がまだ反応があるから、戒名よりも満足感はあるかもしれない。じゃあ、もういいか。社会勉強ってことで。スパチャしなさいよ。